平智之の活動ブログ

【報道ウォッチ14】本当に県外はダメのか?

2013年12月31日 03:42

【平智之の報道ウォッチ14】辺野古埋め立て承認の報道。ひたすら極東有事の危機感を煽って絶対に沖縄に基地が必要だ言う点が、ありもしない停電の危機感を煽って絶対に原発が必要という点に似ている。原発のように本当は要らないのではないか。

●政権交代は内部崩壊だった
政治主導を主唱した鳩山政権を4年続けていれば日本は変わりはじめていたと私は信じている。実は政治主導に対抗する官僚自身も自らの問題点に気づいている。でも自分たちでは自らの無軌道を止められない。それを止めるのが2009年の政権交代だった。しかし、その民主党政権を民主党が壊した。総理に引導を渡し、何度も組閣して大臣の地位を回して、結局権力におもねた。だから当然2012年には大敗した。権力なら上手がいる。

●なぜ辺野古移設が必要なのか
民主党政権の大改革のひとつが県外移設だった。いま辺野古埋め立て承認を巡って在沖海兵隊の必要性が喧伝されるが、その根拠は定かではない。自衛隊は実戦を知らないから、やはり戦争初動のプロたる米海兵隊が必要なのだという人もいるが、そういう人も戦争を知らないだろう。単に怖いと言っているだけのように感じる。なぜ戦略的に普天間基地および辺野古移設が必要なのか。「怖いから」は大切な防衛本能だが戦略でも戦術でもない。

●「最低でも県外」の妥当性は検証されたのか?
元在沖縄総領事で元米国務省東アジア・太平洋局日本部部長のケヴィン・メア氏は自身の著作『決断できない日本』で、海兵隊には絶対に訓練が必要で、それを沖縄でするのだから沖縄に基地が必要なのだと書いていたと記憶する。なぜだろう?なぜ沖縄でなければならないなのか?

●北マリアナ議会は受け入れを議決していた
周知のとおり、米国自治領の北マリアナ諸島の上下院が普天間基地の移転先としてテニアン島誘致を全会一致で可決していた。「辺野古ではなくテニアンへどうぞ」という議決だ。ならば12万4千人のうち、先に表明されているグアムに8千人、そしてテニアンに4千4百人、入りきらないならテニアン以外の北マリアナ諸島の島々などで受け入れれば、そうした訓練はできないのか。つまり、「最低でも県外」が絶対に間違いであり、普天間を閉鎖するなら辺野古移設が不可避であるという論拠はなんなのか。たとえばトランスフォーメーションにおける前方展開戦力論を読むと、「絶対にここが基地」というのが逆に弱点であり、もっとダイナミック(動的)な戦力配置を実現しようとしていたように読めた。つまり戦略的に、普天間も辺野古もそこにあったほうがいいという程度で、立地不可避というものではないと思う。

●在沖米軍と原発は似ている
即応性の議論もある。「最低でも県外」という重大な公約に対抗して、なんと与党民主党の防衛省閣僚から極東有事の際に県外からだと海兵隊の到着が遅れるから県外はダメで、やはり在沖米軍の海兵隊が欠かせないという発言があったと聞く。たとえばテニアンから日本までの飛行時間は3時間。この3時間のためだけに、沖縄の願いである「最低でも県外」を反故にする不可避の理由とはなんなのか。これは、ひとたび事故が起これば甚大な被害が生じる原発が、年に数回の電力ピーク(しかも意図的な誤報)のためだけに必要だという理屈に似ている。なんとしても辺野古移設が必要だという利権の存在が気になる。

●電気は足りているのに足りないという
こういう理屈が横行する時に注意すべきなのは、その理屈を横行させて利権を得る集団の存在だ。ありもしない不安を煽り、私に任せろと言って、ものすごく高い買い物を強要する。そこから得る強大な利益が利権となる。繰り返すが、この様相は、実は電気は足りているのに、「電気が足りないぞ」、「計画停電になるぞ」と不安を煽って、だから原発が必要だとして総括原価(電気代を経由した税金)で毎年数千億円の負担を国民に強いる原発などがその典型ではないか。

●キャンペーンは成功している
逆から見ると、実は電気が足りているからこそ、原子力セクターが必死になって「電気が足りないキャンペーン」を打つ。足りていると知られたら"自称ベース電源"の原発が不要だと知られてしまうから。そして、そのキャンペーンは成功している。原発ゼロが実現している日本で、いまでも「原発ないと電気足りないんでしょ?」という人に会う。奇跡的だ。沖縄に基地がないと中国の脅威に対応できないという種類の恐怖感について、いまいちど冷静に考えてみる必要がある。

●平和になると困る人たち
ここ数カ月の特定秘密保護法、日本版NSC、集団的自衛権容認論の動きを、上述の原発の議論に重ねると、実は世界が平和に向かうと困る人々を想起することになる。たとえば世界がいま平和に向かっているとすると、それを知られるとまずいので、懸命に不安を煽り、煽って軍産共同の利権を維持しようとする、という仮説だ。私は非武装中立論者ではないし、個別的自衛のための実力は当然に必要だと思っている。しかし、平和憲法における自衛と、安倍政権によって容認されようとしている集団的自衛はまったく異なるものであり、このまま過剰な脅威論から武器だ基地だというキャンペーンに乗ることのリスクについて、いまいちど国民的な議論や検証が必要だと思っている。

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