平智之の活動ブログ

2014年1月

【報道ウォッチ19】 原発ゼロへの責任転嫁こそが経済危機

2014年1月29日 03:26

貿易収支に原発ゼロは関係ない.jpg


「過去最大の貿易収支赤字、主因は原発ゼロ」と報道番組が示唆。しかし財務省貿易統計によれば赤字拡大の主因は日本の経済構造。原発ゼロへの責任転嫁こそが経済危機を生む。

●1979年以来の最高赤字
1月26日、平成25年財務省貿易統計(速報)が公表された。そこには予想されてはいたけれども深刻な数字が報告されている。1979年以降の35年間で貿易収支(輸出―輸入)が最高額の赤字となった。通関ベースで▲11兆4,745億円である。


●原発ゼロは関係ない
上図に示すとおり、輸入数量を対前年で比較するとLNGは0.2%微増でほとんど変わらず、原油にいたっては減少(▲0.6%)している。しかし輸入金額は15%以上も増加。要するに以前のブログ『「4億円の国富が逃げる」は間違い』でも予想したとおり、原発ゼロによる燃料輸入増加はもう止まっており、前年と同規模の数量を高く買っているのが実態。だから燃料費増加の原因はアベノミクスによる円安効果と原油CIF価格の上昇しかなく、2012年から2013年の収支悪化で原発ゼロの関係は極めて薄い。

●「原発ゼロのせいで価格が上昇」もない
それでも原発ゼロが原因だという説がある。原発ゼロの影響により日本が原油やガスを買い増すから市場で単価が高くなるという説だ。しかし上図でわかるとおり、価格上昇は3.11前年の2010年から続いている。米国QE(量的緩和)で溢れ出てくる余剰資金が原油市場に流入すれば当然そうなる。加えてドル建ての燃料費は円安(2012年の約80円平均から2013年の約100円平均)で25%も支払金額が上昇する。3.11以前から続く価格の上昇に加えて、円安の影響が非常に大きいことは明白だ。重ねて2012年から2013年の収支悪化で原発ゼロの関係は極めて薄い。

●経常収支マイナスが危険
政府はこの貿易収支悪化の責任を政局がらみで原発ゼロに転嫁する余裕はないはずだ。一刻も早く輸出または所得収支(海外から受け取る配当や利子等)の拡大を伴う成長戦略を策定し成功させる必要があるが、いまのところ筋道は見えない。万一、経常収支マイナスにでもなれば何が起こるかわからない。

●円安でも輸出は増えない構造
ここ数年の貿易収支悪化が示す通り、生産拠点の海外移転等により、円安だからといって輸出数量が以前ほど増えない経済構造へと深化しつつある。経常収支マイナスが外資の引き揚げによって単に円安と高金利だけを生むとしたら危険だ。原発ゼロを貿易収支悪化の主因と決めつけることは、間違えている以上に、日本経済の構造問題を放置することにつながる。原発ゼロへの責任転嫁は経済危機に直結する。

【報道ウォッチ18】原発ゼロで企業が海外に逃げるか?

2014年1月26日 10:43

電気代は0.3%.jpg


【平智之の報道ウォッチ18】電気代で製造業が海外に逃げるか?早朝の報道番組で「いますぐ原発ゼロだと電気代で企業が海外に逃げる」との発言。しかし平均的な中小製造業の生産コストに占める電気代の割合は1%に満たない。


●「電気が足りなくなる」と同じ風説
「いますぐ原発をやめると電気が足りなくなる」という風説(意図的な間違い)と同じように、「いますぐ原発をやめると電気代が上がって企業が海外に逃げる」という風説がある。しかし平均的に電気代の占める割合はとても小さい。

●電気代の割合は0.3%未満
以下はあくまでも平均的な話だ。実際に昨年の10~20%の電気料金値上げで苦境に立たされている企業がおられることは否定しない。しかし国家政策である以上、平均的な状況把握がまず必要だ。中小企業庁公表の統計データで製造業の平均的な水道光熱費割合がわかる。製造業の中小企業分類(売上高5億円~10億円)のデータで算出すると上図のようになる。コスト(売上原価と販管費)に占める電気代の割合は0.3%にも満たない。

●電気代を理由に海外に逃げるリスクが取れるか?
電気代の上昇で企業が海外に逃げるというが、そもそも海外に逃げるというリスクは途方もなく大きい。精錬等の一部ケースを除いて、「電気代が高いから」という理由で海外に逃げるのは希ではないか。普通に考えて、企業のリスクファクターは圧倒的に材料費や外注費や人件費だ。法人税率もある。電気代が2割上がっても全体では0.06%(0.3%×20%)のインパクトだから、その分を減税すれば済む程度だ。

●自家発電でアルミ最大手は日本にいる
よく精錬のアルミが海外に逃げたという話が引き合いに出されるが、国内のアルミ精錬大手は自家発電(水力発電)で価格競争力を維持しており海外には移転していない。非常に重要な事例だ。今後は自家発電設備設置の規制緩和とPPS(新電力)の普及を後押しすればよい。まさに政策次第だ。

●企業人は知っているはずだ
原発ゼロだと五輪返上、原発ゼロだと電気が足りない、原発ゼロだと企業が逃げる、すべて一般論としては事実に基づかない。こういう風説がTVでコメンテーターから流布されることは問題だが、特に企業人が言う場合には留保が必要だ。企業人なら電気代を理由に海外に逃げるかどうかよく知っているはずだ。優秀な人材の確保やサプライチェーンや免税減税措置こそが海外移転のインセンティブだと知っているはずだ。正確に「国内の原発需要が必要だ」という自社問題として主張されればどうか。

防災や福祉のためにこそ、いますぐに

2014年1月25日 06:54

とりわけ東京都民に知ってほしい。「原発事故は当然、起こり得る」と原子力規制委員長が断言。防災や福祉のためにこそ、いますぐに原発の廃止措置計画を策定し執行すべき。


●規制委委員長の見解は政府見解
このことはすべての国民はもちろん、大きな電力消費者である東京都民にぜひとも知って欲しい。日本の原子力規制機関である原子力規制委員会の委員長が公的な会議の場で「(原発)事故は当然、起こり得る」と断言している。規制委員長は三条委員会の長であるから政府の一員であり、委員長発言は実質的に政府見解となりえる。

●有識者との意見交換会で
「(原発)事故は当然、起こり得る」の言質は「原子力規制委員会と有識者との意見交換会 議事録」、平成25年9月30日(月)、5Pにある。該当箇所を抜粋する。

「私どもは新規制基準の策定に当たりましては、これらの指摘を踏まえどんな技術にもリスクはある、「事故は当然、起こり得る」という前提、言いかえると深層防護の考え方を採用しました。」

●なぜ態度を変えたのか?
委員長は当たり前のことを言っている。原発事故は当然起こり得る。しかし、従前の安全神話体制のなかでは、たとえばラスムッセンレポートに代表されるように「過酷事故は起こるとしても非常に小さな確率(たとえば50億年に1回など)」という風潮を定着させてきた。また「事故といっても放射能が外部に漏れるようなタイプの過酷事故は、これを起こさない対策が何重にも施されているから大丈夫だ」という楽観論を流布してきた。なぜ態度を変えたのか?

●責任逃れと再稼働容認
理由は2点あると私は考えている。ひとつは責任逃れ。もうひとつはバックフィットの形骸化による再稼働推進である。ひとつめの責任逃れであるが、規制委員会は再稼働容認に際して「事故が起こらないことのお墨付き」を出すことを回避せねばならない。万一再稼働後に事故が起こって、それが規制委の再稼働容認の判断ミスだったと言われては困る。事故は起こり得る。だから「事故は当然、起こり得る」と最初に宣言しておく。規制委がやることは単に再稼働申請にかかる適合性(基準と合ってるかどうか)の判断だけで、再稼働の決定そのものは経産大臣はじめ閣議に全責任がある、という発想ではないか。

●バックフィットの形骸化
次にバックフィット。「その時の世界最高の安全基準」を既設炉が満たさない限り再稼働を認めないというのがバックフィット制度。しかし規制委としては、だから再稼働した後に絶対に事故が起こらないようにするのがバックフィット制度だと言われても困る。事故は起こり得る。だからバックフィット制度そのものが事故が起きえないことを担保するものではなく、単に「世界最高」だけを担保するものだと定義するために「事故は当然、起こり得る」と最初に宣言し、バックフィットを形骸化しておく。

●リスクゼロを否定するバックフィット
私もこのブログで何度も指摘しているとおり、バックフィット制度は「できるだけ頑張る対策」ではあっても「事故を起こさない対策」ではないという点をみなさんにも押さえていただきたい。事実そのことを、規制委員長自らが、前掲の議事録のなかで「バックフィットの合理性の背景」として述べている。以下抜粋。

「同時に私たちがこだわったのは、安全目標の設定です。我が国では、リスクゼロを求める世の中で原子力の安全性についての異論を排除し、結果的に安全神話の世界を作り出していました。この考えを払拭する具体的な取組の一つが、安全目標の設定で、この目標は新たな規制の中で採用していますし、これ自体がバックフィットの合理性の背景にもなっていると考えています。」

●再稼働しやすくなる
これで再稼働しやすくなる。「事故は当然、起こり得る」と宣言した瞬間から、バックフィットはリスクゼロを担保する制度ではないので、再稼働の際に「世界最高」という曖昧な基準で「リスクを取り除く努力をした」と情報提供すれば再稼働できることになる。

●防災や福祉のためにこそ今すぐ廃止措置へ
まとめる。昨年9月に日本の原子力行政は、これまでの「事故は起こさない」から「事故は当然、起こり得る」に転換した。「すぐにゼロといっても無理でしょう」と語る都民の映像をTVニュースなどで見るが、ひとたび事故を起こせば修復不能の甚大な被害を及ぼす原発が、政府公認でいつでも事故を起こしえる状況にある。この点をどうか認識して欲しい。防災や福祉を重視するからこそ、なおさら一刻も早い原発廃止措置計画の策定と執行が必要だ。廃止措置にも数十年かかる。使用済核燃料を取り出して安全に冷却できるようになるまで、日本中で福島第一原発と同じ過酷事故が起こり得ることを知って欲しい。

ラ・ネージュ(伏見桃山)で公開座談会(2014.01.10)

2014年1月23日 12:18

ラ・ネージュ.jpg 昨年12月2日に続き、本年1月10日に特定秘密倶楽部2回目を開催しました。京都桃山にあるラ・ネージュさんで1時間40分の座談会となりました。素朴な疑問から、非常に深い議論まで、雑談だけど参考になる政治談議だと思います。ラ・ネージュ主宰の四方さんには司会も務めていただき感謝します。ぜひご覧ください。

【報道ウォッチ17】真ん中が溶けたら全部溶ける

2014年1月22日 05:09

原発の設計瑕疵 5重の壁.jpg


【平智之の報道ウォッチ17】春以降、次々に再稼働の可能性との報道。何度も問うてきた。原子炉の5重の壁は融点が外に向かって低下。真ん中が溶けたら全部溶ける。物理的に危険な装置が動き始める。脱原発都知事の誕生で流れを変えたい。


●規制委員会委員が「不可能な目標ではない」
規制委員会の委員が夏までの大飯原発再稼働について「不可能な目標ではない」と発言したとの報道。記事によれば、大飯原発だけではなく、「新規制基準の適合性審査を申請した9原発16基のうち、先行して申請があった6原発10基が審査に合格する見通しになった」とある。

●融点が外に向かって低くなっていく
拙著「禁原発と成長戦略」(明石書店)のp16「核燃料を鉄で包むことは不可能」でも述べたが、原発の安全の要とされている5重の壁(炉心を5重に包んでいるので放射能漏れに強いのだという安全設計の根拠)は実はまったく意味がない。上図に示すとおり、真ん中が溶けたら、あとはドミノ倒しのようにすべて溶ける。融点が低くなっていくのだから何重に包んでも意味はない。自分の溶ける温度よりも熱いものを包むことは物理的に不可能だ。つまり、原発の設計がそもそも不可能だと言える。

●実際に起こったこと
世界中が目撃したとおり、これは理屈上の指摘ではなく現実に起こったことだ。福島第一のメルトダウンそのものである。絶対に冷やせる方法は絶対にないから、メルトダウンを回避する安全設計そのものが工学的に不可能だ。ちなみに火力発電所や化学工場等のプラントでも容器・配管等の破裂・破断等の事故は起こり得るが、原発のように長期にわたり熱源が加熱し続ける事象はないだろう。崩壊熱はそれほど恐ろしい。

●新規制基準に適合性がない
安全設計が不可能なのだからメルトダウン型の過酷事故を起こさない方法はない。だから、ひろく指摘されているとおり現行の新規制基準はほぼ無意味である。ポンプ車の高台配備や外部電源は時間稼ぎに過ぎず、防潮堤は地震や運転ミスや材料劣化等に起因する炉心損傷に対して無意味であり、さらにベントは過酷事故時において加圧による爆発を防ぐ一方で甚大な放射能漏えい装置となる。最初から新規制基準に適合性がないのだ。その基準で適合性判断しても無意味だ。

●バックフィットも原理的に危険
繰り返すが、このような設計不可能問題を無視して、適合性のない基準で適合性審査をしているのだから再稼働は止められない。規制委は「基準に従って判断した」と言い、政府は「規制委の判断を尊重した」と言うだろう。脱原発を主張する方のなかには「バックフィットを厳正に運用すれば再稼働はない」という認識もあるが、官僚と学者と技術者による技術基準の恣意的運用には注意を要する。圧力容器と格納容器と建屋で包む炉心は「世界中で設計に欠陥がある」のだから「その時の世界最高水準」も実は「原理的に危険だ」という落とし穴に気づいて欲しい。自分が国政におれば「徹底的に指摘し続けるのに」との忸怩たる思いもある。もっと現場を知る技術者や実務家が国政に行けばとも思う。しかし現実は現実だ。このままでは"落とし穴の技術基準"に惑わされて再稼働を止めることはできないと強く懸念する。

●だからこそ脱原発最優先の都知事誕生を
だからこそ今できることは脱原発都知事を誕生させることだ。電気の大口消費者たる東京都が環境行政の一環で脱原発政策を実施することは有効だ。猪瀬前知事も検討していた自前のガスコンバインド発電、あるいはコジェネ推進、PPS(新電力)による原発以外の電力重視など、消費者としてやれることが多々ある。除染や賠償や防潮堤やベントや破砕帯や汚染水などの国の議論とは別の、「実効性のあるいますぐ脱原発」に踏み出さなければならない。それぞれの立場や付き合いや選好に固執することなく、脱原発最優先の都知事を誕生させること、その点に脱原発を求める都民の力を合わせることを希求する。

【報道ウォッチ16】 「五輪返上」の間違い

2014年1月19日 09:39

東電は原発以外62%で可能.jpg


【平智之の報道ウォッチ16】「いますぐ原発ゼロなら五輪返上しかなくなる」との公職の発言。政治家は独自に調べて自分の責任で語るべき。いますぐ原発ゼロでもその他電源の利用率6割で東電管内の電力量は足りる計算。


●いまでも「電気が足りない」という不安
「五輪返上」は森元首相の発言だが、このような考えは意外と広く蔓延している。東電管内は3.11から3年近く原発ゼロで問題はないのだが、いまだに「いますぐ原発ゼロはムリだ」「電気が足りなくなる」という不安を抱く人々がいる。

●原発の出力は23%に過ぎない
東電の公表資料「平成25 年度 数表でみる東京電力」によると、東電管内の最大電力は平成13年で6,430万kW。うち原子力の出力は1,449.6万kW(平成25年3月末)。差引4,980.4万kWが原発以外(火力、水力等)の電力であり、原発の出力は全体の23%である。原発以外の電力(全体の77%)で本当に足りないのか。

●火力、水力を6割利用すれば足りる
計算上では十分に足りる。東電管内の販売電力量(平成24年度)は269,033百万kWh。設備利用率で計算すると、上述の原発以外の電源4980.4万kWを61.7%利用すれば販売電力量を供給できる。つまり、いますぐ原発ゼロでも原発以外の電源を約6割利用すれば東電管内の電力量は足りる計算となる。もちろんピーク電力が足りることは言うまでもない。東電管内は3.11以降、原発ゼロで夏のピークを3回クリアしている。

●政治家が情報を自分で収集・分析すべき
森元首相の「五輪返上」だけでなく、野田元首相の「福島第一原発収束宣言」も、安倍政権の「アンダー・コントロール宣言」もすべて間違いだった。その間違いの原因は政治家が情報を独自に収集・分析し、自分の責任で発言していないことにある。「資源エネ庁、規制委員会がそう言ったから」という程度だろう。上述の計算のように自らの見解の根拠を示せば具体的に指摘を受けることができる。そこに議論が生まれる。政治と行政の緊張感が生まれる。政治主導を実現するためにも、政治側に官僚機構とは独立の情報収集・分析能力が必須だ。ところで菅政権当時の官邸による「SPEEDI情報隠ぺい」は間違いではなく政治側の確信犯的行為だから別格に深刻な問題であることを付言しておく。

【報道ウォッチ15】政治家の本懐は国民運動

2014年1月15日 06:48

【平智之の報道ウォッチ15】元首相タッグが都知事選で「原発即時ゼロ」を訴える可能性。「禁原発」を主張する者として大いに期待する。「そのうちに」ではなく「即時ゼロ」だからこそ廃炉措置計画、立地自治体支援、成長戦略(代替エネルギー推進)などの具体的政策が描ける


●恩師の辞世の書が原発即ゼロ論
小泉元首相が細川元首相の都知事選立候補を支援するあたり、「原発は即時廃止すべき」「原発ゼロは国民経済の新たな成長発展につながる」という主旨の発言を繰り返し述べておられる。利権や政局が裏にあるのではないかと疑う向きもあるが、実はこうした発想は、小泉元首相の慶応大学時代の恩師の著書「日本再生最終勧告~原発即時ゼロで未来を拓く~」にそのまま書いてある。本書は、ほぼ一年前(2013年1月30日)に逝去された故加藤寛慶大名誉教授の辞世の書。小泉元首相は本書の推薦人だ。

●倫理的・道徳的ではなく理論的に即時ゼロ
ミスター税調で知られる加藤氏は著名な経済学者であり、公共選択論の専門家であったから、原発即時ゼロは倫理的・道徳的ではなく理論的・分析的な主張のはずだ。もし小泉元首相が、「できるだけ早くゼロ」と言われるなら、理論的でないうえに、政策変更の余地を残すので疑問も感じるが、躊躇なく「即時ゼロ」と言われるのは、恩師である加藤氏の経済学理論を前提としておられるはずだ。「禁原発と成長戦略」(明石書店)を世に問うた立場からも、そう感じる。「そのうちにゼロ」と言う方が人目を気にするなら無難で楽なのだ。しかし理詰めで原発ゼロの手続きを考えるなら即時ゼロとなる。裏に利権があろうがなかろうが、本気で脱原発を実現するなら理論的な手続きは即時ゼロ、というのが私の結論でもある。

●成長戦略なら当然に即時ゼロ
もちろん成長戦略の効果も明白だ。70年代後半に、世界一厳しいと言われた排ガス規制基準をクリアーした日本の自動車産業がその後世界を席巻したのと同様に、禁原発の結果必須となるガスコンバインド、IGCC、USC(超々臨界)の高効率化(温暖化ガス排出係数の抑制含む)、さらには地域分散発電によるコジェネ等の熱利用効率および住宅の断熱性能の向上などを目指すことは成長戦略そのものである。禁原発を法定すれば産業全体がそのような成長戦略に乗っていく。廃炉・除染産業も本格化する。

●強行突破と国民運動の違い
細川元首相の決断にも様々な意見があるが私は政治家の決断を感じた。私見だが、ベテラン政治家ほど心のどこかで「国民運動に対する憧れ」を持っているのではないかと思う。支持者や利権団体に対してではなく、真に国民全体のために行動したいという想いだ。しかし大仕事であるほど強行突破になる。野田前首相の再稼働や消費増税、安倍首相の特定秘密保護法がそうだ。集団的自衛権容認もそうなるだろう。これらは数を頼っての議会強行突破であって国民運動の結果ではない。

●国民運動が政治家の本懐
政治家は、心のどこかで国民の圧倒的多数から望まれて行動するのが本懐だという感覚を持っていると思う。そのような政局と課題に出会えるかどうかだ。細川元首相の昨日(1/14)の立候補決意表明の会見にはそうした思いが表れていたように感じた。元首相として、当然に「やはり政治に未練があったのか?」「権力が忘れられないのか?」といった中傷を受ける。それでも組織と距離を取りながら飛び込む決断は「政治家の本懐は国民運動」という想いからではないか。原発即時ゼロの実現に向けて全力を尽くしていただきたい。

新しい政治の可能性

2014年1月12日 02:36

不安を平安に写真1.JPG


●ライブハウスで政治経済教室
平成26年1月9日、渋谷のライブハウス、ラストワルツで政治経済教室のライブを行った。新春イベント!「日本の不安を平安に」~東大教授安冨歩と前衆議院議員平智之の「公民」漫才・Wトンチ・ライブヴァージョン。東京大学東洋文化研究所教授の安冨歩さんと一緒に、おかしくなっている日本を真正面から見つめてみた。

●歌手がデビューする政治経済イベント
新しかった。これまで多くの政治経済イベントに参加してきたが、歌手がデビューする政治経済イベントははじめてだった。その歌手は安冨歩さん。安冨さんの作詞に著名な作曲家(原田敬子)が曲を付け、一流のピアニスト(廻由美子)、ギタリスト(藤元高輝)、アコーディオン奏者(シュテファン・フッソング)が伴奏して、安冨さんが歌った。原田さんの教え子で作曲家の卵の善養寺彩代さんのバックコーラスも美しかった。 「同じ道」という歌をぜひ動画で聞いていただきたい。あと数日公開されている。なぜ日本社会は原発をやめられないのか、なぜ私たちは不安ばかり感じるのか、気付かされる。

●高橋健太郎さん
まだある。ギタリストでありDJであり音楽制作・評論家の高橋健太郎さんがゲスト出演。高橋さんからは「自分はもともと原発オタク。3.11以前は原子力村と反原発が普通に議論していて(オタクとして)よかった。なのにそれが3.11以降途切れている。」という主旨のご発言。対話や議論が途切れることを深刻に見るのではなくて、オタクの立場から"面白くない"と言っているのが面白い。話しやすい。こんなメンバーが揃うのは奇跡的なほどにラストワルツ(1976年ザ・バンドの解散コンサート)と似ている。

●面白い、話しやすい
原発、年金、医療、教育、国防、建設、経済、外交というと構えるが、別の入口から入ってみると、面白い、話しやすい、と教えてもらった。安冨さん、表現者のみなさんに感謝です。このイベントで一番触発されたのは私だと自慢したい。

不安を平安に2.JPG

政治を変えるキーとなる人々

2014年1月 5日 22:28

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「握手の数、ポスターの数、街頭演説の頻度、知名度、年齢・性別などで政治家を選んでいたら政治は変わらない」理系コンサルタントが日本の政治改革を訴える。対談『エネルギー技術者が考える政治経済』(渡辺穣二×平智之:約92分)。


●理系コンサルタントが政治を考える
昨年末、渡辺穣二さんと対談した。阪大工学部石油学科を卒業後、石油会社に10年間勤めて独立し、これまで約30年にわたり世界各国(欧州、米国、豪、アジア、中央アジア、アフリカ等)でプロジェクトマネジメントをしてきた国際ビジネスコンサルタント。1989年に米国MBA(ビジネス経営学修士)。理系出身のビジネスコンサルタントが考える政治のあり方についてお考えを聞いた。内容は録画を見ていただきたい。多くの方々が感じているだろう政治や選挙のあり方に対する疑問に明快な解法を提案している。

●勝ち抜きコンクラーベの提案
渡辺さんの論点のひとつは「仕事のできる実務家が政治に必要だ」というもの。しかし、握手の数、ポスターの数、街頭演説の頻度、知名度、人情、性別、年齢、当選回数などが、その人の仕事の実績や能力よりも優位に評価されてしまう現在の選挙のしくみでは、実務家が非常に選ばれにくいと主張している。実務家が選ばれるためには、選挙の過程で有権者が、経済や原発や国防のことなどについて候補者の主張内容をよく知り、自らの考えも整理するための"勉強や熟議の機会"が必要であると。そこで、非常にシステマチックな熟議のしくみとして"勝ち抜きコンクラーベ"を提案している。渡辺さんのお考えは氏のブログを参照いただきたい。


●「選挙とは、政治とは」という自分の思い込み
実は自分自身、政治の世界に飛び込む5年前まで、ほぼ同じ感覚を持っていた。ポスターや街頭演説に関心はなかった。渡辺さんと同じように、何をしてきた人か?何をしようとしている人か?にしか興味はなかった。ところが今度は自分が選挙を体験したら握手やポスターや街頭演説に没頭した。政党の候補者としては、それが当選の有効な方法だったからだ。「当選したい」という気持ちと、「選挙とはこういうもの」「政治とはこういうもの」という業界人気取りとを混同していたと白状する。

●何を論じている人か伝わらない
そのような政治活動の問題に直面したのが大飯原発の再稼働だった。政治が、目の前の国民の命よりも、業界団体や労働組合の都合を優先する現場にいた。こんなことでいいなら、数十名の閣僚以外の政治家は全員不要で、むしろ官僚だけのほうがはるかに経済的で効率的だと思えた。だからこそ私は官僚が絶対に言わない禁原発を唱えて有権者の議論喚起を求めた。拙著も2冊上梓して原発問題の内実を伝えようとした。しかし禁原発本を手に取る人は非常に限られていた。禁原発は握手やポスターでは当然伝えられないし、街頭演説でも意を尽くせない。選挙を通じて、私は"強く原発に反対している人"という程度で、何を論じている人かはほとんど伝わらなかったかもしれない。

●議論すらされないことが大問題
禁原発は法案も含めた理論的な政策だ。理論的だから、異なる理論で禁原発が明快に否定されるなら、それは素晴らしいことだ。理論的な立場とはそういうことだ。解こうとしている問題は放射能災害の甚大な被害の回避であるから、もし異なる理論的政策の方が有利なら、その方法で原発リスクを社会から取り除ける。「いつか安全にするから」「被害を最小限にするから」というリスク回避に無関心な政府の理屈がおかしいだけなのだ。だから、脱原発の政策の中身が、今すぐ、卒、脱依存などいろいろあるのはなにも問題ではない。それらの間で理論的な議論のないことこそが問題なのだ。議論がなければ原発問題の内実が国民に伝わらない。そう思っている折に、熟議の必要性とともに熟議のしくみまで提案する渡辺さんを知り、今回の対談に至った次第である。握手、ポスター、街頭演説の努力を否定するものではないが、それだけでは今までの繰り返しとなり、政治が変わらないのはそのとおりだ。ちなみに原発問題に関しては『原子力市民委員会』の議論に大いに期待する。ここで幅広く科学的で理論的で政策的な議論がなされるはずだ。

●自分で情報を収集して、自分の考えを持つ人々
大飯原発の再稼働から特定秘密保護法までの十数カ月、「このままで日本はどうなっていくのか」「もう政治には任せていられない」というご意見をいただく。原発に限らず、税制、産業政策、国防などの重要政策について不安のご意見だ。しかし、大組織や役所からの意見はほぼ皆無に近く、多くは渡辺さんのような技術者・実務家、中小企業の経営者、音楽、芸術などの表現者の方々が圧倒的に多い。業界団体、労働組合、地縁組織などのなんらかの組織とは独立に自分の考えを表明し行動する人々ではないか。そうした人々は、握手やポスターや年齢や性別や街頭演説の頻度で政治家を評価する人々ではないのだろう。どんな能力を持っている人か?どんな仕事をしようとしている人か?の方をより重視する人々ではないだろうか。組織の利害にも運動の刺激にも左右されず、自分で情報を収集して、自分の考えを持つ人々。これから政治が変わるとすれば、そうした人々の行動がキーになるかもしれない。

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