平智之の活動ブログ

政治を変えるキーとなる人々

2014年1月 5日 22:28

平論のトップ.jpg

「握手の数、ポスターの数、街頭演説の頻度、知名度、年齢・性別などで政治家を選んでいたら政治は変わらない」理系コンサルタントが日本の政治改革を訴える。対談『エネルギー技術者が考える政治経済』(渡辺穣二×平智之:約92分)。


●理系コンサルタントが政治を考える
昨年末、渡辺穣二さんと対談した。阪大工学部石油学科を卒業後、石油会社に10年間勤めて独立し、これまで約30年にわたり世界各国(欧州、米国、豪、アジア、中央アジア、アフリカ等)でプロジェクトマネジメントをしてきた国際ビジネスコンサルタント。1989年に米国MBA(ビジネス経営学修士)。理系出身のビジネスコンサルタントが考える政治のあり方についてお考えを聞いた。内容は録画を見ていただきたい。多くの方々が感じているだろう政治や選挙のあり方に対する疑問に明快な解法を提案している。

●勝ち抜きコンクラーベの提案
渡辺さんの論点のひとつは「仕事のできる実務家が政治に必要だ」というもの。しかし、握手の数、ポスターの数、街頭演説の頻度、知名度、人情、性別、年齢、当選回数などが、その人の仕事の実績や能力よりも優位に評価されてしまう現在の選挙のしくみでは、実務家が非常に選ばれにくいと主張している。実務家が選ばれるためには、選挙の過程で有権者が、経済や原発や国防のことなどについて候補者の主張内容をよく知り、自らの考えも整理するための"勉強や熟議の機会"が必要であると。そこで、非常にシステマチックな熟議のしくみとして"勝ち抜きコンクラーベ"を提案している。渡辺さんのお考えは氏のブログを参照いただきたい。


●「選挙とは、政治とは」という自分の思い込み
実は自分自身、政治の世界に飛び込む5年前まで、ほぼ同じ感覚を持っていた。ポスターや街頭演説に関心はなかった。渡辺さんと同じように、何をしてきた人か?何をしようとしている人か?にしか興味はなかった。ところが今度は自分が選挙を体験したら握手やポスターや街頭演説に没頭した。政党の候補者としては、それが当選の有効な方法だったからだ。「当選したい」という気持ちと、「選挙とはこういうもの」「政治とはこういうもの」という業界人気取りとを混同していたと白状する。

●何を論じている人か伝わらない
そのような政治活動の問題に直面したのが大飯原発の再稼働だった。政治が、目の前の国民の命よりも、業界団体や労働組合の都合を優先する現場にいた。こんなことでいいなら、数十名の閣僚以外の政治家は全員不要で、むしろ官僚だけのほうがはるかに経済的で効率的だと思えた。だからこそ私は官僚が絶対に言わない禁原発を唱えて有権者の議論喚起を求めた。拙著も2冊上梓して原発問題の内実を伝えようとした。しかし禁原発本を手に取る人は非常に限られていた。禁原発は握手やポスターでは当然伝えられないし、街頭演説でも意を尽くせない。選挙を通じて、私は"強く原発に反対している人"という程度で、何を論じている人かはほとんど伝わらなかったかもしれない。

●議論すらされないことが大問題
禁原発は法案も含めた理論的な政策だ。理論的だから、異なる理論で禁原発が明快に否定されるなら、それは素晴らしいことだ。理論的な立場とはそういうことだ。解こうとしている問題は放射能災害の甚大な被害の回避であるから、もし異なる理論的政策の方が有利なら、その方法で原発リスクを社会から取り除ける。「いつか安全にするから」「被害を最小限にするから」というリスク回避に無関心な政府の理屈がおかしいだけなのだ。だから、脱原発の政策の中身が、今すぐ、卒、脱依存などいろいろあるのはなにも問題ではない。それらの間で理論的な議論のないことこそが問題なのだ。議論がなければ原発問題の内実が国民に伝わらない。そう思っている折に、熟議の必要性とともに熟議のしくみまで提案する渡辺さんを知り、今回の対談に至った次第である。握手、ポスター、街頭演説の努力を否定するものではないが、それだけでは今までの繰り返しとなり、政治が変わらないのはそのとおりだ。ちなみに原発問題に関しては『原子力市民委員会』の議論に大いに期待する。ここで幅広く科学的で理論的で政策的な議論がなされるはずだ。

●自分で情報を収集して、自分の考えを持つ人々
大飯原発の再稼働から特定秘密保護法までの十数カ月、「このままで日本はどうなっていくのか」「もう政治には任せていられない」というご意見をいただく。原発に限らず、税制、産業政策、国防などの重要政策について不安のご意見だ。しかし、大組織や役所からの意見はほぼ皆無に近く、多くは渡辺さんのような技術者・実務家、中小企業の経営者、音楽、芸術などの表現者の方々が圧倒的に多い。業界団体、労働組合、地縁組織などのなんらかの組織とは独立に自分の考えを表明し行動する人々ではないか。そうした人々は、握手やポスターや年齢や性別や街頭演説の頻度で政治家を評価する人々ではないのだろう。どんな能力を持っている人か?どんな仕事をしようとしている人か?の方をより重視する人々ではないだろうか。組織の利害にも運動の刺激にも左右されず、自分で情報を収集して、自分の考えを持つ人々。これから政治が変わるとすれば、そうした人々の行動がキーになるかもしれない。

ページの先頭に戻る