平智之の活動ブログ

2014年8月

【イベント告知】 8/30(土)~8/31(日)イベント

2014年8月27日 21:42

0830イベントチラシ.jpg


京都市内8/30(土)&8/31(日)の連日で以下のイベントを開催します。
ご参加お待ちします。


■8/30(土)  平智之の講演会
・テーマ:『集団的自衛権と原発再稼働の共通点』(参加自由)
・日 時: 平成26年8月30日(土) 18:30~20:30 (開場18:00)
・場 所: ウィングス京都 京都市男女共同参画センター 2F セミナーA室・会 費:無料
・告 知:ここをクリック

■8/30(土) 懇親会(後援会の直後)
・日 時:8月30日(土曜日)21~22時30分
・場 所:プレミアム百
烏丸蛸薬師下がるホテルチェックイン四条烏丸2F(セブンイレブンの上)
・会 費:¥4000-

■8/31(日) 座談会 ティータイムチャット(お茶とお菓子と気になる出来事)
・テーマ:『なぜ少数派に政治が動かされるのか?』
・日 時:平成26年8月31日(日) 14:00~16:30 
・場 所:京都市伏見区向島中島町30 IL cielo(天然酵母パンのお店)
・会 費:¥500-
・お申込:tdaitoh@icloud.com
・告 知:ここをクリック


東電の全面撤退説 vs 官邸の3.11政局利用説

2014年8月22日 19:44

東電の撤退と退避.jpg


▼いただいたご指摘

「東電の撤退で炉が放置されかねなかったが、それを総理が食い止めた」の件で、平先生の記事(3.11吉田所長は住民避難を求めていた)に違和感がありました。私の知るかぎり、ここでのプレイヤーには「吉田所長」と「菅首相(官邸)」のほかに「本店」と「清水社長」がいます。で、それぞれ別のことを考えていて、連係がとれていなかったのは確かだと思います。

流れとしては、まずひとつは、清水社長が官邸に全面撤退を打診→菅首相が激怒、本店に乗り込んで撤退はさせないと怒鳴る→清水社長のいなかった本店の人々は(全面撤退のつもりでなかったので)ポカーン、と。つまり全面撤退を言っていたのは吉田所長ではなく清水社長であると思います(たとえば福山哲郎氏の記事)。

これとは別に吉田所長と官邸の関係で、本来直接くるはずない官邸から指示がどんどんくる→吉田所長「官邸から直接指示が来るとは何事か。本店は一体何をやってるんだ」、という流れがあったと。産経はこの言葉を菅首相(あのおっさん)批判と取っていますが、それもあるんでしょうがたぶん歪曲で、一義的には本店批判に見えます。

というように理解していましたが、ソースを確認しようと思いざっと検索したところですが、これなんか参考になりますでしょうか。ちゃんと調べるともっと出てくるかもしれませんが。いずれにせよ吉田調書は即刻公開すべきですが、公開するとムラの人にまずいことがあるんでしょうね。


ご指摘に対する平の返答

「全面撤退と言ったのは現場所長ではなく東電社長ではないか」という点、おっしゃるとおりかもしれません。しかし事実は不明なままですし、すっきりしません。議事録なし、ビデオ音声なしで、確たることはまだ何もわからないので事実の究明が必要です。吉田元所長が全面撤退とは言わないだろうという点は2018/8/20のブログで私の推測を述べましたが、東電本社においても全面撤退と言うかどうか、言ったかどうかは、依然として不明だという認識を私は持っております。

すでに3年以上経っているにもかかわらず全面撤退発言の事実検証が曖昧なままで終わっています。さすがに当時の関係者に曖昧にしておこうという意図はないと信じたいですが、積極的に明らかにしようという意図がないことはほぼ間違いありません。原発災害に際して政府において生じうる「情報の混乱」、「情報の隠ぺい」、「避難指示の間違い」あるいは「3.11の政局利用」の可能性(後述)などを明らかにするためにも、曖昧なままでは済まされません。

以下はすべて私の推測を含みます。
私自身も引き続き追及しますが、日本のジャーナリズムにも期待するところです。
細かくなりますが、ご指摘と引用された記事を中心にすこし検証してみます。

まず、ご指摘の「全面撤退を言っていたのは吉田所長ではなく清水社長であると思います」という点ですが、清水社長(当時)が意味として一部退避ではなく全面撤退を主張していたのかどうかは、確たる証拠がなく、前述のとおり、私としてはいまだに不明という認識です。

事実、最近の産経記事『経産相当時も撤退ではなく退避』において、海江田経産大臣(当時)の2014.8.19の記者会見での発言が次のように紹介されています。
『私は(経産相当時に)撤退ではなく退避という言葉を聞いた。撤退という言葉がどこから出てきたのかは今となってはつまびらかではない』

海江田大臣(当時)は現民主党代表であると同時に、当時の現場収束の実務上の最高責任者でした。発災直後の3月15日に東電本社に設置された統合本部の副本部長(本部長は菅総理)として、同じく副本部長の清水社長と常駐で仕事をしていた間柄です。その海江田元大臣による「撤退という言葉がどこから出てきたのか?」という発言は非常に重大ではないでしょうか。

話は複雑になります。

ご指摘で引用された2年半前の朝日新聞(2012年03月21日、竹内敬二)の記事『「撤退するか残るか」。東電と菅首相が直面した究極の選択』に次のようにあります。
『日付が14日深夜から翌15日未明にかけて、東京電力の清水社長は、「福島第一原発から退避したい」という「申し出」を首相官邸などに繰り返していたのである。今は、東電側は「全面撤退を企図してはいなかった」というが、電話を受けた側の菅首相、海江田経産相、枝野官房長官らは「全面撤退」と受け取り、「原発はどうなるのか」と相談していた。』
つまり、この記事でも清水社長は「退避したい」と発言したことになっており、「撤退と言った」とは書かれておりません。そして政治家側がそれを「全面撤退と受け取った」とされているのです。「海江田元大臣も撤退を心配していた」という記事になっています。

辻褄が合いません。清水社長から官邸への電話で海江田大臣(当時)が全面撤退と受け取ったのであれば、なぜ最近(2014.8.19)になって「撤退ではなく退避だった」と発言するのか。東電の退避要請を官邸側で全面撤退と勘違いしたと言うのか、それとも今になって東電の全面撤退発言の可能性を打ち消そうとしているのか。いずれにしても大問題ではないでしょうか。

同記事中で「菅総理が撤退を許さない」と東電に乗り込んだ際のことについて「菅首相は東電に、海江田経産相、細野首相補佐官らを帯同していた。」とあります。また同じくご指摘で引用される福山官房副長官(当時)の『原発撤退、朝日新聞のスクープ』(2014年05月20日 )には『東電・清水社長を呼んで撤退をやめるように指示した現場にも同席しました。その後、菅総理とともに、明け方5時半頃、東電に乗り込み、この記事にある6時15分頃の巨大な衝撃音を東電本社内で聞きました。いまだに鮮明に記憶に残っています。』とあります。さらに元副長官は『「撤退要請」をあとになってから「一部退避であり撤退は考えていなかった」と強弁し続けた東電の相変わらずの隠蔽体質の問題です。』と述べています。

以上を総合すると、3月15日、東電本社の統合本部で、同じ時間か、時間差があるのかは不明ながら、いずれにしても菅総理が「撤退は許さない」と東電に釘を刺した場面を元経産大臣、元副長官、元補佐官の少なくとも3人の政治家が直接聞いたという記録です。そして、元大臣は「撤退とは聞いていない」との認識であり、元副長官は「撤退要請だった」と明言しています。(しかし「聞いた」とは書かれていません) 事実はどうなのでしょうか。このような状況で全面撤退発言の有無を確定するのはすこし尚早ではないかと思います。

もちろん東電経営者が全面撤退と発言した可能性はあります。その可能性は否定しません。東京内幸町の経営トップだけが暴走した可能性です。しかしその場合、事態は想像を絶するほど深刻です。日本の国土の半分が壊滅すること知って全面撤退を企図し、経営トップがそれを時の総理に具申したという推測になります。総理に向かって日本の半分を壊滅させてくれ、というようなものです。そして、東京を含めた東日本壊滅のリスクを冒すことを知ったうえでの具申ですから、経営基盤となる土地が消滅しますので総理に指摘されるまでもなく会社は潰れます。潰れると言うより資本の消滅です。ですから東電社長(当時)が現場からすべての職員を全面撤退しますというのは「わが社は日本の半分とともに消滅します」という自己宣言です。経営者がそれを宣言したとするならば、東電のペナルティーも考えうる最も重いレベルでなければならないと思います。「東電が全面撤退しようとした」ということはそういうことのはずです。そもそも吉田元所長はじめ東電及び下請社員を撤退させて、東日本が広大に脱落して、そしてみんなでどこへ行くと考えたのか。ミステリーです。

さて、そのようなミステリーの可能性が"あり"である以上、次のミステリーも考えておいてよいと思います。それは「東電が全面撤退と言い、政府がそれを食い止めた」という政府と東電の「勧善懲悪の図式」が作られたものだというミステリーです。いかにもスクープであり、こういう図式の記事は一応検証が必要だと思います。杞憂であればとも思いますが、もし当時の官邸内の誰かが、3.11の惨事をマニフェスト不履行による政権支持率低落に歯止めをかける"政権浮揚のきっかけ"にしたいというような極めて不謹慎かつ非人道的な意図を持ったとしたら、これは絶好の図式となります。そうやって東電を鬼に仕立てて政府(桃太郎)の鬼退治を演出したとしたら。「東電が情報を隠すからいけないのだ」という印象操作をして国民の怒りを東電に向け、ちぐはぐな避難指示による人と土地に対する被ばくの責任主体をぼかしつつ、「よく頑張っている政府」という印象を醸成することになります。結局、SPEEDIデータ隠ぺいの具体的な詳細(要するに誰が当初SPEEDIを出すなと指示したのか?)は今でも霧のなかなのです。これが冒頭述べた「官邸の3.11政局利用」の可能性です。言い換えれば「政局を優先させる人命軽視」説です。こちらも東電の全面撤退説と同様に一応検証しておくべきではないでしょうか。いずれであってもその非人道性は筆舌に尽くしがたいです。ちなみに「東電の全面撤退説」が東電の経営者を除いて誰もはかり知らないシナリオであるように、「政府の3.11政局利用説」も官邸の数名を除いて当時の民主党のすべての議員があずかり知ることのできないシナリオです。両方ともそれくらい尋常ではないと考えて、そのうえで「東電の全面撤退説」の重大性を見つめなければならないと思います。

【報道ウォッチ32】 吉田所長は住民避難を求めていた

2014年8月20日 01:29

吉田所長の住民避難.jpg

●撤退は許さない
 吉田調書を巡る報道が続く。菅政権の頃、「福島第一から撤退する」という吉田元所長(故人)の発言があったとの報道がなされ、それに対して「撤退は許さない」「撤退したら東電は百パーセント潰れる」という菅総理(当時)の発言があったとの報道がなされた。しかし今、新聞社が入手した吉田調書に「撤退という言葉は使っていない」という主旨の吉田元所長の言質が残されているとの報道がなされている。

●言葉ではなく内容
吉田元所長の言葉も菅元総理の言葉もそれは報道の限りで実際の言葉も経緯もわからない。しばしばこのような報道では言葉ではなく内容を考える必要がある。当時の報道は、「東電の撤退で炉が放置されかねなかったが、それを総理が食い止めた」という印象の流布だった。強烈な報道だったと思う。炉が放置されたら東日本全体が脱落していたかもしれない。そのような結果に至る判断を吉田元所長がしていただろうか。現場の所長を含めて全員で撤退などという決断をするだろうか。

●10条通報に残っている
実は吉田元所長が発災直後にどのような思いであったかについては証拠がある。原子力災害特別措置法(原災法)に規定される10条通報(原子炉に異常な事態(特定事象)が生じた場合に現場所長から各関係機関に通報する義務)の原文が公表されている。(下図参照)

●住民の避難を求めていた
3.11発災直後、吉田元所長は10条通報のなかで次のように書いている。
「地域住民に対し、避難するよう自治体に要請の準備を進めております」(上図参照)
吉田元所長は炉周辺の住民を守ろうとしていた。

●自分が所長だったら
10条通報は、経産省、文科省、福島県、原発立地の近隣地町村をはじめ関係機関に一斉に発出される。吉田元所長は自分の考えを原子力関係のすべての人々に周知していた。自分が吉田元所長だとしたらどうだろう。「地域住民を守る」と公言する自分が「自分も含めて全員の撤退」を考えるだろうか。みなさんも自分を当時の所長だと仮定してご想像いただきたい。

●「現場を見に来て下さい」という吉田所長
元所長が最低限の人員以外の退避を指示された可能性は十分にあるが、炉を放置するような全員の撤退を指示されたとは私には考えられない。2011年、政府・東電統合本部で一度だけ吉田元所長にお会いした。毎日朝10時の東電本社会議に来られた。会議中、一言も発言されなかったが、お帰り際に言われたことは「現場を見に来て下さい」の一言だった。非常に実直な印象を思い出す。全面撤退という印象を与える当時の報道はどうしてもミスリードに思える。だから「それを食い止めた不退転の総理」という印象の報道にも強い違和感を感じる。

●「自治体への要請」とは
1点だけ気になることがある。10条通報にある「避難の自治体への要請」はあったのか。あったとすれば、どのように扱われたか。官邸からの避難指示は3.11の21時前に半径2km以内で出たとの記録があるが、現場所長から福島県や近隣市町村に直接「逃げろ」の要請があったとしたら、それを当該自治体はどのように扱っただろう。原発災害時におけるオフサイト対策として重要な教訓のはずだ。


10条通報全体.jpg

【講座の告知】 集団的自衛権と原発再稼働の共通点 at 京都

2014年8月14日 01:43

集団的自衛権容認の閣議決定文より抜粋・解説


集団的自衛権閣議決定の解説.jpg

(下線、解説は平智之の解釈による)


8/30(土)、講座『集団的自衛権と原発再稼働の共通点』を京都でも開催します。

異なる政府(安倍政権と野田政権)の
異なる政策課題(集団的自衛権と原発再稼働)の
進め方がなぜ酷似しているのか。

集団的自衛権容認の閣議決定(7/1)の内容はどうなっているか。
たとえば閣議決文の「1 武力攻撃に至らない侵害への対処」は
次のような構成になっている。(上図参照)

・平時でも有事でもない事態でも、
・いつ有事になるかわからないから
・自衛隊の治安出動や警護出動について、
・早期の下令や手続きの迅速化を検討する。

今後の国会で検討される自衛隊法案、防衛省設置法案等にもよるが、
「どんな平時でも有事と読み替えうる」制度になると大変危険。

よく考えると、
足りているのに足りないと言って再稼働するのと、
平時なのに有事だと言って自衛隊出動するのは、
非常に似ている。

こうしたことを参加者と一緒に考えたいと思う。

・テーマ: 『集団的自衛権と原発再稼働の共通点』(参加自由、参加費無料)
・日 時: 平成26年8月30日(土) 18:30~20:30 (開場18:00)
・場 所: ウィングス京都 京都市男女共同参画センター

ご参加お待ちします。 平 智之

【報道ウォッチ31】 敵基地先制攻撃までいくのか

2014年8月 2日 23:54

武器輸出 武器輸出三原則.jpg

●憲法9条第1項に違反する危険性
4月に閣議決定された防衛装備移転三原則を施行すれば、ますます他国のとの防衛装備共同開発が進むだろう。この制度のままでいくと、他国との武器の共同開発は標準化などを通じて世界への武器供与となり、国際紛争への関与につながりうる。その結果、日本が国際紛争を解決する手段で武力による威嚇や武力の行使に関与する事態となれば、それは明確に憲法9条第1項に違反する。

●集団的自衛権容認の三か月前
この事態の発端は、集団的自衛権容認(7月1日)の三か月前(4月1日)だった。それまでの武器輸出三原則のポジティブリストを防衛装備移転三原則のネガティブリストに反転させた。ネガティブリスト化したということは一部の例外を除いて原則として武器輸出が解禁されたことを意味する。(上図参照)

●ポジティブリストとネガティブリストの違い
ポジティブリストとは「できる(ポジティブ)こと」を明確化して、それ以外は禁止する制度。ネガティブリストとは「できない(ネガティブ)こと」を明確化して、それ以外は容認する制度。つまりポジティブリストは原則禁止の制度であり、ネガティブリストは原則容認の制度となる。(下図参照)


武器輸出 原則の反転.jpg


●敵基地先制攻撃にもつながりうる
原則禁止の武器輸出三原則から原則解禁の防衛装備移転三原則への反転は、60年前に原子力委員会が設置された時の核廃絶から核利用への反転と同様に唐突である。近々、航空自衛隊に「航空戦術教導団」(仮称)が設置され、敵基地先制攻撃の戦術が検討される。この構想は1月から練られてきた。敵基地先制攻撃論(1月)⇒防衛装備移転三原則(4月)⇒集団的自衛権行使容認(7月)の流れがある。実は敵基地先制攻撃能力の確保が根底にあるのかもしれない。

●来る8月9日の講座(下記)に参加ください
以上のような点を下記の講座で述べます。ご参加ください。
・テーマ:『集団的自衛権と原発再稼働の共通点』
・日 時:平成26年8月9日(土) 15:30~17:30
・場 所:朝日カルチャーセンター湘南教室(下図参照)
・申込み:こちらから

お申込みお待ちします。   前衆議院議員 平 智之

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