平智之の活動ブログ

2015年4月

自治体を1万に分割したらどうなるか?

2015年4月21日 15:51

8時だよツイキャス.jpg

4/11(土)にツイキャス中継を行った。
中継日が統一地方選挙(前半戦)の投開票日前日だったので、遅ればせながらいま内容を報告する。動画は以下。

    動画1はこちら     動画2はこちら

●基礎自治体が大き過ぎる?
テーマは「地方自治体を1万に分割したらどうなるか?」とした。現在約1,700ある基礎自治体(市町村等の最小単位の自治体。以下、単に自治体とする。)の数を5倍以上にするとどうなるか?という問になる。この問いの根っこにはいろんな思いがあるが、ひとつには統一地方選への関心の低さがある。事実、投票率は最低を更新し続けている。生活者が「自治」ということに関心を持たない。自治が身近に感じられないのは自治体が大きすぎるからかもしれない。

●欧州では日本の学区規模が基礎自治体
欧米諸国の基礎自治体の数と人口(2000年前後)は以下のとおり。
・ドイツ⇒ ゲマインデ 約12,000 / 約8,000万人
・フランス⇒ コミューン 約37,000 / 約6,600万人
・アメリカ⇒ シティー等 約20,000 / 約2億人
平均すると欧州は概ね5千人くらいが基礎自治体の人口規模になっている。イングランドのパリッシュも数千人の規模だ。これは日本ならば1学区くらいの規模。ご想像いただきたい。ひとつの学区くらいの大きさがひとつの自治体ならどうなるか?一人住まいの高齢者への配慮、子供の通学路への配慮、道路の陥没補修や信号の敷設など、生活面への政治関与がより行き届いて丁寧になるのは想像しやすい。

●普通の生活者が自治体議員
欧州自治体の実態調査(岡部一明氏)によれば、たとえばドイツの地方部のゲマインデ(基礎自治体)では、村議は村長を含めて7人で年4、5回集まるだけ。それで村道の維持管理、墓や森の管理、街灯、消防、スポーツクラブなどの運営に責任を持つ。給与はないし村役場も不要。既設のコミュニティー・センターで村議会を開く。村長の家に全部書類がおいてあって村の人たちとは村に一軒ある飲み屋でよく議論をする。普通の生活者が村政をみんなで担っているという感じで、まさに自治ではないか。これも規模が小さいからできることだろう。

●日本の自治体の規模は平均7~8万人
ひるがえって日本の自治体は約1億2千万人が約1,700の自治体に住んでいるから、1自治体あたり平均7~8万人となる。大きな自治体である政令市や特別区が100万人規模となるのはご案内のとおりだ。そこでは当然、職業政治家により構成される議会も自治体職員も外郭団体なども用意される。この規模になると自治体議員もご近所さん付き合いとはいかないし市長にすぐに声が届くとは思いにくい。だから生活者からすれば自治というよりは"お任せ感覚"で行政サービスの量と質への期待が中心になるのは理解できる。もちろん多くの大きな自治体でもきめ細やかな素晴らしい行政が実現されているが、少なくとも生活者の自治意識は自治体の大きさと反比例して低下する傾向にあるのではないか。実際、大きな自治体ほど投票率が下がる傾向があるように思うが、どうだろうか。

●自治体と行政組織は別
ちなみにアメリカは基礎自治体あたり平均1万人で欧州より大きいが、要注意なのはアメリカ国土の多くは自治体になっておらず、自治体ではない地域に住む国民が1億人以上存在する。私たちにはわかりにくいが、アメリカでは住民の発意を元に各州の憲法に基づいて自治体が編成されるので発意がない地域は自治体にならない。しかし米国土は原則カウンティ(郡)という行政組織に分割されているので、たとえ自治体がなくても地域の警察もあるし住民サービスもある。自治体ではないだけだ。そんな地域に住む人が1億人以上いる。だから自治体に住む人はそれが自治体だとわかって住むので、欧州よりも大きい1万人という規模でも自治意識が醸成しやすいということもあるだろう。

●グローバル経済と見回り保守の経済
グローバル経済は金融と製造業等で今後とも進化していくだろう。だから"わたしたち"という感覚でもっとも大きな単位である"国"が重要な役割を担うのは必至だ。市場の失敗を国同士の交渉のなかで抑制しなければならない。一方で、"わたしたち"という感覚でもっとも小さな単位である町内会や自治会や学区などには、一人住まい高齢者の安否確認、子供の遊び場・通学路の安全確保、道路や水道やガス等の生活インフラの整備・補修など、"見回り保守"の重要性がますます高まるだろう。その最小単位を現在の特殊な地縁組織から自治体とすれば自治意識がさらに高まるのではないだろうか。グローバル経済と見回り保守の経済を並存させる感覚だ。ちなみに見回り保守の分野がまだまだ未開拓の新しい産業分野であることを私は疑わない。

4/25(土)京都、平智之講演会「ベーシックインカムを考える」(第4回)

2015年4月16日 19:18

ベーシックインカムを考える京都4.jpg

●平智之講演会の告知
4月25日(土)平智之 京都講演会を開催します。
参加無料、申込不要、予習不要です。
みなさんの参加をお待ちします。

・テーマ 「ベーシックインカムがあるなら福祉は要らないか?」
     ~BIの財源の前に考えておくべきこと~
・日 時 平成27年4月25日(土) 午後6時半~午後8時
・場 所 ハートピア京都(京都市営地下鉄烏丸線「丸太町駅」5番出口)
・参 加 参加無料、事前申込なし
・主 催 平 智之 info@t-taira.net

●福祉とBIの関係
ベーシックインカム(以下、BI)の財源を考える場合、「現行の福祉制度をどうするのか?」によって話がまったく異なってくる。「BIを支給するならば生活保護や失業給付は要らなくなるのではないか?」という発想からこのような議論が生まれる。福祉とBIの関係はだいたい次のように3つに分類できると思う。
(代替論) 福祉⇒BI(福祉制度をほぼBIで代替する)
(両輪論) 福祉+BI(福祉制度とBIを両輪とする)
(否定論) まず福祉(BIの前にまずは福祉の充実)
各論について議論したい。福祉制度に関心の高い方、BIに反対の方にも参加いただきたい。

●常識的には両輪論
BI導入の可能性を追求するならば福祉とBIの両輪論が常識的だろう。たとえば年金と医療は現行のままで基礎年金の現金給付部分だけを全世代に拡大する案など。福祉の諸制度をBIへ移し替える代替論は「無年金または低年金(一号被保険者等)」で老後に不安を有する層が賛成する可能性もあるが、国民の多数である社会保険の加入者と受給者(7~8千万人)からは「年金を廃止してBIにします」と言えば「損するじゃないか!」で一蹴される可能性が高い。つまり政治的に通用しない。福祉の充実とBIが矛盾しないと考える方、そして一定の妥協を覚悟してとにかくBIを導入すべきだと考える方々のご意見が聞きたい。

●考えてみる意義のある代替論
一方で、BIというのは税金の使われ方を考えるうえで極めて意味のあることなのだから、現実性など気にしないで、この際福祉をすべてBIに持っていくような完全なBIを想像してみたらどうか、という意見もある。たとえば社会保障に使っているお金をすべて国民に配ったらどうか?など。(この議論は今回数字でお示する)これが代替論だ。「ベーシックインカムを考える」(第一回)で私のBI案が両輪論に近いと述べたら、「平さん、医療を残す、年金を残すと言ってたらBIの議論にならないでしょう」、「まずはすべてBIというところから議論するから意味があるのでは?」という意見をもらった。一理ある。代替論を議論すると逆になぜ年金や医療が必要なのかも見える。

●生活保護と医療への配慮なら否定論
さらに「まずは福祉の充実だ」と唱える方々の意見もある。BIで生活保護がなくなるとBIだけで生きていけない者が社会から切り捨てられる、という意見が代表的だ。ちなみに、生活保護についてはそもそも現行の制度で生活保護を貰える水準で実際に貰っている人の割合(捕捉率)が2割に過ぎないという研究がある。つまり8割は保護されていないという説だ。本当に困窮する低所得者を救済するのなら「捕捉率を上げる努力」と「全員にBIを配る」という方法のどちらが救済の効果が高いかも議論してみればどうか。生活扶助に詳しい方やケースワーカーの意見も聞きたい。

みなさんの参加をお待ちします。

とにかく教育(第2回)~反知性主義と民主主義教育~の報告

2015年4月 5日 01:20

とにかく教育(第二回).jpg

●本日の動画
本日4/4、平智之講演会「とにかく教育」(第2回)~反知性主義と民主主義教育を開催した。動画は以下。(2つに分かれている)

動画(その1)
動画(その2)

●3つの質問で90分の議論
次の3つの質問について90分の充実した議論だった。
・政府の暴走と世論の追随が先の大戦前と酷似しており大変心配だ Yes / No
・教育現場で教師が民主主義と政治を教えることは極めて重要だ Yes / No
・民主主義を取り戻すために象徴的な政治家や思想家のリーダーが日本にも必要だ Yes / No

●活発な意見交換
以下は議論の一部抜粋。
・先の大戦とは社会環境が異なるので同じように戦争が起こると思わない
・いや、社会への無関心層が戦争礼賛になる可能性が戦前よりも危ない
・教師には教育現場での民主主義の教育を大いに期待する
・いや、いまの教師は管理されているので政府の立場を代弁してしまう危険性がある
・社会の変革には政治家や思想家のリーダーは必要だと思う
・いや、リーダーに依存するのは効果的なようでむしろ危険だ

●反対運動が注意すべきこと
賛否両論の活発な意見交換となった。私から1点次のような問題提起をした。

たとえば原発、集団的自衛権、TPP、特定秘密の問題について「反対だと思っているが反対運動には参加しない人々」(多数派)から「反対運動」(少数派)が特殊な集団だと見なされる危険性に注意しておく必要がある。しばしば反対運動が「反対ありき」の運動に見えるので「反対運動しない多数派」はとても近づき難い。議論が拒絶されているように見えるからだ。多数派が近づかなければその反対運動は政治に接続しない。民主主義にとって大切な反対意見が無為となってしまう。運動と政治が異なるという点は決定的に重要だ。(賛成であれ反対であれ)民主主義には技術がある。その技術も民主主義の実践的な教育の対象ではないか。

以上の議論は拙著「なぜ少数派に政治が動かされるのか?」(ディスカヴァー携書)もご参照いただきたい。とにかく教育(第3回)も予定している。

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