平智之の活動ブログ

8/21弘法さん街頭演説 「安保関連法案と人々の心」

2015年8月23日 16:48

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平成27年8月21日(金)九条大宮交差点にて


毎月21日は弘法さんでの街頭演説。
平成27年8月21日、東門と大宮九条(上写真)で次のような話をさせてもらった。

●阿弥陀さんもお不動さんも
曼荼羅のまんなかに大日如来がおられる。弘法さんは、すべての仏さんは大日如来が姿をかえたものだとされた。お釈迦さんも、阿弥陀さんも、お薬師さんも、お不動さんも、優しい仏さんから憤怒の仏さんまで、すべて"真理そのもの"である大日如来のひとつの姿だとされた。慈しみの心も怒りの心も真理に至る入り口のひとつひとつだと言われたのだろうか。

●安保関連法案の賛成と反対
安保関連法案について想う。安保関連法案に賛成する側からは反対する側が"現実を直視できない人々"に見え、安保関連法案に反対する側からは賛成する側が"戦争をしたい人々"に見えている。

●賛成も反対も同じ心が姿を変えたもの
弘法さんなら、このような人々の心の状況をどのようにお考えになるだろうか。もしかすると賛成派も反対派も「おなじ心が姿を変えたもの」といわれるのではないか。 誰も戦争で家族や幼なじみやふるさとを"失いたい""奪いたい"とは思わないだろう。"失いたくない"が恐れの心を、"奪いたくない"が祈りの心を生むけれども、まんなかは同じだと。

●"失わない" "奪わない"ために
いま大切なのは、両派とも共通してまんなかに持っている"失わない" "奪わない"理想のためにどうしたらいいかを具体的に話し合うことだろう。まんなかはひとつ(同じ)だとお互いに了解し合わないと具体的な議論ができない。なぜなら"相手を叩きたいだけ"で言葉じりや過去の資料などで枝葉末節の議論に終始するから。批判の牙をむかないで国民全体でこれからの話ができないか。国会の議論はそのお手伝いをすることに尽きると思う。

(追記)先月7/21の弘法さんでの体験。いくつかの話題のなかで安保関連法案の話をしたところ、お参りの方から声をかけられた。「あなたは先ほどから"戦争法案、戦争法案"と言うが、その考え方がおかしい。」と。しかし私は"戦争法案"という言葉を使ったことがない。きっとその方は日頃から戦争法案という言葉に反意があって、私の演説中にその言葉を創作されたかと思う。私が話していることより、どう聞こえているかが、聞いている人にとっての私の話だ。自分も同じことをしているかもしれない。決めつけないで話し合ってみないとわからない。

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