平智之の活動ブログ

平の論点

メタンハイドレートで日本は資源大国になれるか

2016年1月 9日 21:28


メタンハイドレート.jpg

メタンハードレート資源開発研究コンソーシアムのパンフレット(P1)より


「メタンハイドレートで日本は資源大国になれるか」についてお話ししました。
平智之の報道ウォッチ 2016年1月9日放送分をご覧ください。

●実験開始
経産省がメタンハイドレートの抽出実験を今春以降に始めるとの報道。2013年に一度行われて7日間連続で取り出すことに成功しています。世界初の成功でした。

●メタンハイドレートとは
メタンハイドレートはメタンガスと氷が海底などの低温高圧の場所で結合しているもので、利用可能となればエネルギー市場に大きな影響を与えます。

●日本の埋蔵量
メタンハードレートの埋蔵量は全世界で天然ガスの10倍あり、日本近海(南海トラフと北海道周辺)には日本の年間使用量の100年分があるという報告もあります。もし連続抽出の技術が完成すれば日本はたちどころに資源大国になります。

●外交の交渉カード
確かに現在のところコストが高いのですが、これは自国のエネルギーですから、いつでも取り出せるようにしておくこと、そしてそれを世界に示しておくことは重要かもしれません。現在は新興国の経済低迷で鎮静化していますが、いずれ世界景気が上昇局面になれば、本格的なエネルギー争奪に日本も巻き込まれます。その時に原油と天然ガスを高値でふっかけられて困らないように、「そんなに言うならメタンハートレートでいきますよ」という交渉カードにするくらいの戦略性で考えるのはどうでしょうか。

社会に献身する力

2015年12月22日 00:02

20151221弘法さん1.jpg


雨のなかお参り有難うございます。
本日(2015年12月21日)もまた弘法さんでお話をさせていただきます。

●弘法大師の技術力
今日は弘法大師が非常に優秀な技術者であったという点に注目したいと思います。「社会に献身せよ」という教えがありますが、いくら社会に献身したいと思っても、それだけでは想いのままです。しかし弘法大師は社会に献身するための高い技術力を持っていたというお話をさせていただきます。

●満濃池の工期短縮
よく聞く逸話に、弘法さんが杖を突いたらそこから水が溢れてきて、それが満濃池になったのだというものがあります。もちろん現実はそうではありません。決壊した満濃池の堤防の改修工事が非常に難工事で、工期が遅れに遅れていたところ、ピンチヒッターで派遣された弘法大師が大幅に工期を短縮したということだそうです。

●ごり押しする力
この際、工期短縮するには設計変更が必要だったはずです。つまり、先に派遣されていた技術系官僚の工法などを変更しているはずなのです。難工事でこのような設計変更をするには高い技術力と現場仕込みの喧嘩腰も必要でしょう。元の設計者を説得することになりますから現場にものすごい軋轢が生まれるからです。でも弘法大師はごり押しして、それをやり遂げたのだろうと思います。それくらい有無を言わせぬ技術力があっただろうし、結果に責任を取る覚悟もあったでしょう。もう一度決壊したら終わりですから。

中退して荒行しながら科学を修める
平安時代最初の遣唐使船で中国に渡り、多くの経典と教えを持ち帰られた弘法大師は、同時に大変な技術者でもあったということになります。しかし、いったいどこでそんな能力を。もちろん唐での見聞もあったでしょうが、私はそれよりも青年として仏教の教えに目覚めてエリート養成学校を中退した後にその秘密があると思います。若いころに学校を中退して山に籠った謎の数年間があるという説です。この説によれば、弘法大師は山中で荒行をしながら中国語と鉱物学を学んでいます。中国語は今でいえば英語であり、鉱物学は今でいえば地球科学です。ものすごく体力を消耗する山中の荒行の最中に最先端の言葉と科学を習得する20代の弘法大師の努力は計り知れません。(まるでオリンピック選手の鍛錬をしながら最先端科学を修めるようなものではないか)そんな弘法大師だからこそ平安時代初期の多くの難問を解決されたのだろうと推察します。

●社会に献身する力とは
私たちには今どんな力が必要なのでしょうか。「賛成のための賛成」「反対のための反対」では言葉ばかりが踊って問題は蚊帳の外。反対すればいいというものではない。弘法大師がなぜ数々の難問を解決できたのか。それはまず正面から難問と向き合ったからだろう。賛否などする前にとにかく解決に向かったからだろう。そしてその解決力を蓄えていたからだろう。そう思います。社会に献身する力について、もう一度はじめから自分を見つめなおさなければ。

8/21弘法さん街頭演説 「安保関連法案と人々の心」

2015年8月23日 16:48

無題.jpg

平成27年8月21日(金)九条大宮交差点にて


毎月21日は弘法さんでの街頭演説。
平成27年8月21日、東門と大宮九条(上写真)で次のような話をさせてもらった。

●阿弥陀さんもお不動さんも
曼荼羅のまんなかに大日如来がおられる。弘法さんは、すべての仏さんは大日如来が姿をかえたものだとされた。お釈迦さんも、阿弥陀さんも、お薬師さんも、お不動さんも、優しい仏さんから憤怒の仏さんまで、すべて"真理そのもの"である大日如来のひとつの姿だとされた。慈しみの心も怒りの心も真理に至る入り口のひとつひとつだと言われたのだろうか。

●安保関連法案の賛成と反対
安保関連法案について想う。安保関連法案に賛成する側からは反対する側が"現実を直視できない人々"に見え、安保関連法案に反対する側からは賛成する側が"戦争をしたい人々"に見えている。

●賛成も反対も同じ心が姿を変えたもの
弘法さんなら、このような人々の心の状況をどのようにお考えになるだろうか。もしかすると賛成派も反対派も「おなじ心が姿を変えたもの」といわれるのではないか。 誰も戦争で家族や幼なじみやふるさとを"失いたい""奪いたい"とは思わないだろう。"失いたくない"が恐れの心を、"奪いたくない"が祈りの心を生むけれども、まんなかは同じだと。

●"失わない" "奪わない"ために
いま大切なのは、両派とも共通してまんなかに持っている"失わない" "奪わない"理想のためにどうしたらいいかを具体的に話し合うことだろう。まんなかはひとつ(同じ)だとお互いに了解し合わないと具体的な議論ができない。なぜなら"相手を叩きたいだけ"で言葉じりや過去の資料などで枝葉末節の議論に終始するから。批判の牙をむかないで国民全体でこれからの話ができないか。国会の議論はそのお手伝いをすることに尽きると思う。

(追記)先月7/21の弘法さんでの体験。いくつかの話題のなかで安保関連法案の話をしたところ、お参りの方から声をかけられた。「あなたは先ほどから"戦争法案、戦争法案"と言うが、その考え方がおかしい。」と。しかし私は"戦争法案"という言葉を使ったことがない。きっとその方は日頃から戦争法案という言葉に反意があって、私の演説中にその言葉を創作されたかと思う。私が話していることより、どう聞こえているかが、聞いている人にとっての私の話だ。自分も同じことをしているかもしれない。決めつけないで話し合ってみないとわからない。

祇園祭と貞観地震

2015年7月17日 22:56

移動中.jpg説明中.jpg


●雨のなかの山鉾巡行
本日、台風11号の雨のなか
前祭(さきまつり)の山鉾巡行が挙行された。
祇園祭山鉾保存会の役員の皆さんと町衆の皆さんに感謝。
と同時に阪神淡路大震災と東日本大震災にも思いを込めたい。

●貞観地震の鎮魂
実は貞観地震の発生と祇園祭(祇園御霊会)のはじまりはほぼ同時。
貞観地震の発生は貞観11年(869年)5月26日。
祇園祭のはじまりは同年6月7日との記録。
だから祇園祭のはじまりは疫病退散だけでなく、
貞観地震被災への復興祈願と鎮魂だったという説がある。

●平安京だから鎮魂は自然
私はその説を信じる。
たとえば長岡京や難波京は地名を冠する都だが、
平安京は"平安"という祈りの詞を冠する都。
朝廷が世の平安を願って震災の御霊(みたま)を鎮めようとするのは、
平安京ならごく自然に思える。

●巡行の直前
写真は本日の朝9時の巡行の舞台裏。
私の住まいのすぐ近くの岩戸山
巡行出発に向って移動中。

●学生さんにありがとう
もう一枚は引き手に巡行本番の説明中。
きっと京都の大学に学ぶ学生さんもおられるだろう。
京都に来てくれて山鉾を引いてくれてありがとう。
みなさんの存在が鎮魂の証です。

●京に生まれた者として
京の都が世界の平安を祈る場所であるという自覚を
京に生まれた者としてこれからも大切にしたい。

ジョン・ナッシュの訃報に接して

2015年5月28日 21:25

ラフォンの本.jpg

読んでみたらすごく難解だったが、どうしてもその理論を知りたくなった本

●ジャン・ジャック・ラフォン
2003年頃にジャン・ジャック・ラフォンという仏経済学者の学術書を読んだ。国土交通省の委員会委員として入札制度の議論をしていたときだった。なぜ建設業者は赤字覚悟の価格で応札するのか?ダンピングの定義やそれが起こるメカニズムとはなにか?等について法律家、経済学者、民間識者(私の立場)が参加していた。その折に経済書をいろいろ読む中でラフォンの名前を知った。ジャン・ジャック・ルソーに名前が似ているのですぐに覚えた。

●セカンドベストの作り方
昨年のアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞(俗にいうノーベル経済学賞だがノーベル賞ではないようだ)を受賞したジャン・ティロールとラフォンの共著である「調達と規制のインセンティブ理論」(上の写真)はもちろん理解の範囲を超えていたが、なんとかその理論を知りたいと思わせる1冊だった。世のなか契約事でベストは得られない。せいぜいセカンドベスト(次善の成果)が関の山だけど、だったらその関の山であるセカンドベストはどのような契約書で実現できるか?セカンドベストが実現できることも凄い、そんなことを理論的に教えてくれる本だった。独占禁止や不正競争防止は万国共通のルールではなく、各国の文化や各業界の現場ルールに則しているほうがいいと、その時以来思っている。

●お互いに裏切り合うこと
そしてラフォンの本を読む中で、ジョン・ナッシュ(1994ノーベル経済学賞)の理論にも触れることができた。ミクロ経済やゲーム理論を学ぶ順序がでたらめなのだけれども門外漢としてそれが楽しい。お互いにウソをついたり裏切る方が有利になる、つまりお互いに非協力的である方が有利だとみんなが思う"世の中の落としどころ(均衡)"とは何かを理論的に理解させてくれた。

●東アジアの協力解
それどころか、永遠にお付き合い(無限繰返しゲーム)することがお互いにわかっている時、お互いに裏切らないで協力し合った方が全員にとって不利がないという落としどころがあるという理屈(フォークの定理)には夢を感じた。この定理によれば永遠にお隣さんであることを拒否できない日中韓のような東アジアはお互いに協力し合うことが理論的な答えなのだと、その時以来思っている。

●ナッシュの訃報に接して
私とミクロ経済学の接点はとても細い。たまたま関心に任せて何人かの経済学者の理論に触れただけなのに、そんな細いつながりのなかで知りえた二人の知性がもうこの世にいない。ジャン・ジャック・ラフォンは2004年に早逝し、そしてジョン・ナッシュが奥様と共に一昨日交通事故で亡くなった。失うことの寂しさが止まらない。ご冥福をお祈りする。

自治体を1万に分割したらどうなるか?

2015年4月21日 15:51

8時だよツイキャス.jpg

4/11(土)にツイキャス中継を行った。
中継日が統一地方選挙(前半戦)の投開票日前日だったので、遅ればせながらいま内容を報告する。動画は以下。

    動画1はこちら     動画2はこちら

●基礎自治体が大き過ぎる?
テーマは「地方自治体を1万に分割したらどうなるか?」とした。現在約1,700ある基礎自治体(市町村等の最小単位の自治体。以下、単に自治体とする。)の数を5倍以上にするとどうなるか?という問になる。この問いの根っこにはいろんな思いがあるが、ひとつには統一地方選への関心の低さがある。事実、投票率は最低を更新し続けている。生活者が「自治」ということに関心を持たない。自治が身近に感じられないのは自治体が大きすぎるからかもしれない。

●欧州では日本の学区規模が基礎自治体
欧米諸国の基礎自治体の数と人口(2000年前後)は以下のとおり。
・ドイツ⇒ ゲマインデ 約12,000 / 約8,000万人
・フランス⇒ コミューン 約37,000 / 約6,600万人
・アメリカ⇒ シティー等 約20,000 / 約2億人
平均すると欧州は概ね5千人くらいが基礎自治体の人口規模になっている。イングランドのパリッシュも数千人の規模だ。これは日本ならば1学区くらいの規模。ご想像いただきたい。ひとつの学区くらいの大きさがひとつの自治体ならどうなるか?一人住まいの高齢者への配慮、子供の通学路への配慮、道路の陥没補修や信号の敷設など、生活面への政治関与がより行き届いて丁寧になるのは想像しやすい。

●普通の生活者が自治体議員
欧州自治体の実態調査(岡部一明氏)によれば、たとえばドイツの地方部のゲマインデ(基礎自治体)では、村議は村長を含めて7人で年4、5回集まるだけ。それで村道の維持管理、墓や森の管理、街灯、消防、スポーツクラブなどの運営に責任を持つ。給与はないし村役場も不要。既設のコミュニティー・センターで村議会を開く。村長の家に全部書類がおいてあって村の人たちとは村に一軒ある飲み屋でよく議論をする。普通の生活者が村政をみんなで担っているという感じで、まさに自治ではないか。これも規模が小さいからできることだろう。

●日本の自治体の規模は平均7~8万人
ひるがえって日本の自治体は約1億2千万人が約1,700の自治体に住んでいるから、1自治体あたり平均7~8万人となる。大きな自治体である政令市や特別区が100万人規模となるのはご案内のとおりだ。そこでは当然、職業政治家により構成される議会も自治体職員も外郭団体なども用意される。この規模になると自治体議員もご近所さん付き合いとはいかないし市長にすぐに声が届くとは思いにくい。だから生活者からすれば自治というよりは"お任せ感覚"で行政サービスの量と質への期待が中心になるのは理解できる。もちろん多くの大きな自治体でもきめ細やかな素晴らしい行政が実現されているが、少なくとも生活者の自治意識は自治体の大きさと反比例して低下する傾向にあるのではないか。実際、大きな自治体ほど投票率が下がる傾向があるように思うが、どうだろうか。

●自治体と行政組織は別
ちなみにアメリカは基礎自治体あたり平均1万人で欧州より大きいが、要注意なのはアメリカ国土の多くは自治体になっておらず、自治体ではない地域に住む国民が1億人以上存在する。私たちにはわかりにくいが、アメリカでは住民の発意を元に各州の憲法に基づいて自治体が編成されるので発意がない地域は自治体にならない。しかし米国土は原則カウンティ(郡)という行政組織に分割されているので、たとえ自治体がなくても地域の警察もあるし住民サービスもある。自治体ではないだけだ。そんな地域に住む人が1億人以上いる。だから自治体に住む人はそれが自治体だとわかって住むので、欧州よりも大きい1万人という規模でも自治意識が醸成しやすいということもあるだろう。

●グローバル経済と見回り保守の経済
グローバル経済は金融と製造業等で今後とも進化していくだろう。だから"わたしたち"という感覚でもっとも大きな単位である"国"が重要な役割を担うのは必至だ。市場の失敗を国同士の交渉のなかで抑制しなければならない。一方で、"わたしたち"という感覚でもっとも小さな単位である町内会や自治会や学区などには、一人住まい高齢者の安否確認、子供の遊び場・通学路の安全確保、道路や水道やガス等の生活インフラの整備・補修など、"見回り保守"の重要性がますます高まるだろう。その最小単位を現在の特殊な地縁組織から自治体とすれば自治意識がさらに高まるのではないだろうか。グローバル経済と見回り保守の経済を並存させる感覚だ。ちなみに見回り保守の分野がまだまだ未開拓の新しい産業分野であることを私は疑わない。

18歳の有権者への期待

2015年3月22日 01:24

教育現場で民主主義.jpg


講演会『とにかく教育』~18歳の有権者への期待から~は参加者との非常に活発な議論となった。現役の大学生、10歳の娘さんを育てるお母さん、60年と70年安保時代の先輩方、音楽家、そして現職の教師の皆さんから貴重な数々のご発言をいただいた。

本日のツイキャス動画はこちらへ。

私からは主として米国の事例として、チャータースクールのこと、なかでもデモクラシー・プレップ・パブリックスクールのこと、Rock the voteやKids votingのこと、デンマークの高校・大学生への現金給付のこと、そしてフィンランドのオッリペッカ・ヘイノネン元教育相の大改革のことなどを紹介して参加者に議論を求めた。

議論の概要(抜粋)を以下に列記する。
・教育現場で民主主義を教えることは有意義だ
・いや、しかし民主主義をわかっていない先生もいる
・この際18歳以下の若者と一緒に先生も民主主義を勉強しよう
・米国の選挙人登録制度は日本でも有効だ
・いや、逆に登録制度をやると投票率が下がる危険性がある
・選挙は義務なんだから登録しなくても投票できて当然
・教育現場で候補者討論会をやるのもいい
・いや、いきなり政治家の話を聞く前に社会のことを教えるべき
・小中学生にも政治や選挙のことを教えることは有意義だ
・いや、それならば学校という管理のしくみも問題にすべき
など。

印象に残る言葉があった。現職の教師の方から「反知性主義の横行が非常に問題だ」との一言。強く同意する。政治を含めて社会全体に「難しいことを言うな」、「理屈なんか要らない」というような風潮が蔓延している。これでは民主主義は成り立たない。事実を知る努力、論理的に考える姿勢、他者と意見交換する活動がいまこそ大切だ。

【報道ウォッチ35】 鳩山元総理のクリミア訪問

2015年3月15日 13:09

●クリミア訪問でひとつの論調しか見えない
鳩山元総理のクリミア訪問について一つの論調しか見えてこない。政府から評論家に至るまで「政府の制止を顧みずにクリミアへ行ったことは国益を大きく損なう行為」「日本国の総理経験者としてあるまじき行為」という論調ばかりだ。

●なぜ?と思わないか
驚くべきことだと思う。鳩山元総理の意図を探る視点、つまり「なぜ鳩山氏は大きな批判を覚悟してまでクリミアへ行ったのか?」という視点の報道が見つけにくい。これまでの中国訪問中の尖閣問題に関する発言、そしてイラン訪問中の核査察問題に関する発言を経て尋常ならざる批判を受けてきた鳩山元総理だからご存じないはずはない。クリミアへ行くだけでメディアとそのメディアの報道に影響される世論から再び大きなバッシングを受けることを。それでもなぜ断行したのか。不思議に思うのが自然だ。「なぜ敢えて行ったのか?」みなさんはどう思われるだろうか。

●明確な意図がなければできない
自分自身も原発問題等で厳しい批判を経験した。特に身近な者や強い支持者からの批判は辛い。それが元総理であればインパクトは計り知れない。波状の人格攻撃は厳しい。だからしばしばネット上で散見されるような「目立ちたいから」や「KY外交」などの揶揄はあたらない。そんな呑気な理由でやれることではない。そうした視点を一度自分の体験と仮定して想像いただきたい。明確な意図がなければできない。

●レアメタルの専門家がクリミア訪問を論考
どんな意図なのかについて、レアメタル専門家の意見がネット(東洋経済オンラインに)で掲載されている。
『鳩山由紀夫元首相は、宇宙人か馬鹿か天才か』
クリミア半島での「無謀な行動」を分析する
筆者は中村 繁夫氏(アドバンストマテリアルジャパン代表取締役社長)。
ぜひ一読いただきたい。 記事はこちら

●一見狂っているようだが当たり前の意見
レアメタル商社を経営し、2月にはモスクワを商談で訪れた筆者はロシア人の意見も聴きながら次のように述べている。

『NATO加盟国以外の世界の世論は、中立の立場である。中立の立場とは「米国の意見も聞くし、ロシアの意見も聞く」という、子供でもわかる理屈である。一見狂ったように見える由紀夫氏の考え方は「ロシアの意見も聞く」という当たり前の意見を言っているにすぎない。』

●友好条約と天然ガスとシベリア開発
また筆者は「鳩山元総理を非難する人々こそが日本の国益を損なっている」という主旨(平解釈)の視点を次のように述べている。

『専門家はお見通しだが、プーチン大統領は日露平和友好条約の締結とサハリンの天然ガスの共同開発とシベリア開発を心から推進したいと考えている。これまでも何度となく日本政府にラブコールを投げかけているのに、私から言わせれば、日本の「洗脳されたロシア性悪説論者」が邪魔をしているのだ。早い話が今回の由紀夫氏を貶めようとしている面々とも言える。』

●反米も対米従属もちがう、という立場
さて、この記事の筆者と私の共通点は「米国が好き」という点だ。反原発と反米がセットになっている方々もおられる(そしてそれはひとつの見識だ)が私は米国好きで原発反対だという点を集会でも述べてきたし拙著にも書いてきた。単純にすべてをワンセットにして、それ以外は間違いだと断じる姿勢があるとすればそれは民主的ではない。私はかねがね「反米は有益ではないが同時に対米従属もリスキーだ。外交において日本はひとつの姿勢に偏るリスクを取るべきでない。」という主旨のことを言ってきた。同じことを筆者が次のように書いている。

『誤解のないようにいっておくが、私は米国が好きだ。だが、一方で、対米一辺倒型で万事うまくいくほど、外交は簡単ではない。米国一辺倒では得られるものは極めて少ないのもまた事実なのである。新興国を中心にレアメタルビジネスを展開している筆者だからこそ、声を大にして訴えたいのだ。』

●米国が好きな人
そして鳩山元総理もまた米国が好きな人物だろうと思う。そもそも母校が米国のスタンフォード大であり、当校のフットボールチームがローズボール(全米大学No1決定戦)に出場することを嬉しそうに話されるのを直接聞いたことがある。クリミアを訪問するのは鳩山元総理にとって反米的行為ではなく、むしろ親米派の鳩山氏による日米露の架け橋の意味や可能性も考えたい。

お金持ちもベーシックインカムを受け取る(BI#5)

2015年2月 8日 05:00

所得制限YesNo.jpg

平智之講演会『ベーシンクインカムを考える(第三回)』(2015/1/31)の内容をスライドごとに解説(その5)


●所得制限にYesか?Noか?
「お金持ちにベーシックインカムは不要だから、やはり収入制限はあったほうがいいと思うか?」と聞かれたらYesかNoか、どちらだろうか。生活保護の場合は、ご存知のとおり所得制限があって基準以下の低所得層だけに給付されるしくみだが、BIはどうだろうか。

●"すべての市民"が重要
ここまで述べてきたように、私は「格差の是正」よりも「働く自由」に重点を置いてBIを考えたいと思っている。その場合にBIを受け取る権利は誰にあるのか。私の場合、BIを受け取る権利は低所得層だけではなく、高所得者も含めた「すべて」の市民にあると考えている。だから答えはNoで、所得制限を設けないからこそBIなのだと考えている。「市民とはだれか」には様々な議論があるが、まずはこの「すべて」ということが重要だと考えている。

●鳩山政権の子ども手当も同じ
この点については鳩山政権の子ども手当でも同じ議論があった。子ども手当は格差の是正を目的とするものではなく、すべての子供に等しく給付されるということから、鳩山総理(当時)は「所得制限を設けないのが基本」という立場を貫こうとしていた。しかし財務省からは財源不足を理由に所得制限を設けざるをえないという立場が表明され、最終的には三党合意で子ども手当が廃止となり、結局は所得制限付きの児童手当に戻された。給付額を抑えたいという動機はとても強いから所得制限を設けないのはとても難しい。

●所得制限で生じる問題
さて、もしBIの受け取りに所得制限を設けると、生活保護等で指摘されるようにいくつもの問題が生じる。たとえば、
1 わざと働かないでBIを受け続けようとする問題(貧困の罠)
2 所得を不正に低く申告してBIを受け取る問題(不正受給)
3 以上により高所得層が制度そのものに不信感と不公平感を持つ問題
4 BI受給者が社会に対して「申し訳ない」という思いを抱く問題(スティグマ)
5 所得制限の基準額が選挙などに政治利用されて利権化する問題

●格差是正なら生活保護の充実が早くて効果的
生活保護制度はそのような所得制限の問題を抱えつつも実施されている。そうした問題を乗り越えてでも実施する義務がある。生存権(憲法25条)だ。そう考えると、もしBIの目的が「格差の是正」ならば、特に新しい制度として国論を挙げてBIを構想しなくても、いまの生活保護制度の捕捉率(実際に生活保護費を受け取っている人/生活保護費を受け取れる人)の向上を目指す方が早くて効果的だ。平成24年度の生活保護費3.7兆円を何倍にしてでも保護が必要な人に給付していくことを目標とすればよい。たとえば捕捉率2割という説があるが、それが本当なら生活保護予算を3.7兆円から18.5兆円(=3.7兆円×5)に拡大する計画を考えることになる。ものすごく巨額な増額だが、そもそもBIがものすごく巨額な予算要求を前提としている。

●「すべての市民」だから新しい制度に
しかし、BIの目的が「格差の是正」ではなく「働く自由」ならば、生活保護と比べる意味はないし、所得制限も必須ではない。これから数十年は続くとされる人口減少期に入ったところで国民全員で一緒に考えてみてはどうか。これまで子どもと高齢者に認められてきた生活保障(子ども手当と年金)を下から上からすべての世代に延長し、かつ所得制限も設けないという新しい制度の価値を検討してみてはどうだろうか。「すべての市民を対象とする現金給付」という新しい制度の価値と実現性だ。これからそのことについて私の考えを述べたい。 (続きはBI#6へ)

「働く自由」に向けたベーシックインカム(BI#4)

2015年2月 6日 16:53

二つのアプローチ.jpg


平智之講演会『ベーシンクインカムを考える(第三回)』(2015/1/31)の内容をスライドごとに解説(その4)


●「格差」と「自由」という二つの立場
二つの立場を考えたい。格差を是正する、あるいは脱貧困のためにBIが必要だとする立場と、働く自由を生み出すうえでBIが有意義だとする立場と。実際にBIが施行されたら、人それぞれの事情で脱貧困に役立つ場合もあれば、働く自由に有効となる場合もあるだろう。BIを受け取る人によってとらえ方が変わって当然だが、制度を考えるうえでは、どちらをより優先するかが重要となる。

●ブラジルのBIは脱貧困から
ブラジルではすでにベーシックインカムの基本法が施行されている。皆さんもご存じのとおりブラジルは貧富の格差が非常に大きい国。富裕層(1%)と貧困層(50%)の世帯収入合計が同じという統計もある。そこでブラジルは以下の原則を求めるBIの基本法を施行している。
・すべての国民(及び最低5年以上居住の外国人)を対象とする
・収入に関わらず受給できる
・生活(食糧、教育、健康)に最低限必要な金額とする
・BIは所得税で非課税とする
しかし財源が足りないので、まずは"所得制限あり"の子ども手当からはじめている。貧困層の子どもたちを救うのだ。(注:貧困家庭にBolsa Familiaと呼ばれるカードが配布され、子どもの人数に応じて現金が給付される。主として食費に使われているという調査がある。)

●スイスのBIは自由から
一方スイスでは、BIの実施に関する国民投票が連邦議会で審議中とされている。日本は憲法改正に関してのみ国会発議で国民投票を実施できるが、スイスではたとえば国民が「BIを導入して欲しい」というイニシャチブを宣言し、18か月以内に10万人以上の署名を集めて連邦議会に提出すると、議会で国民投票実施の審議をしなければならないそうだ。つまり国民投票に関して日本は議会発議でスイスは国民発議となる。そしてそのイニシャチブが一昨年(2013年10月)に十数万筆の署名とともに議会に提出されたとのこと。内容の大枠は国民一人あたり(成人)に1カ月あたり2,500スイスフランを無条件支給するというもの。スイスの平均年収は約9百万円なので為替レートと購買力平価などを大雑把に勘案すると日本円では1カ月当たり15万円程度になる。ブラジルに見る脱貧困のニーズというよりは、働く自由に対する要求がより強いように思う。(注:ところでスイスでは2013年11月に「1:12イニシャチブ」が国民投票に付された。年収格差を12倍以内に収めることの是非を問うた。約65%vs35%で否決されたが、格差についても非常に高い関心がある。)

●完全BIと部分BI
さて、ベーシックインカムについて格差と自由の二つの立場があるとすれば、私は「働く自由」から考えてみたいと思っている。つまりスイス型だ。ただしスイスの市民案のように月15万円の規模はとても難しい。日本の成人は約1億人で、もし一人15万円を毎月給付すると年間180兆円の財源が必要となる。現在、日本の年金と児童手当が60兆円弱だからその3倍。これはとても難しい。15万円が理想的な「完全BI」だとすれば、私は金額はそれよりも少ないが実現性が少し高まる「部分BI」を皆さんと考えてみたいと思っている。議論のために、成人が月5万円、子どもが月2万5千円とする。

●「働く自由」に向けたベーシックインカム
重ねて、国民一人当たり、月15万円を給付するとどんな社会になるかを想像してみるのは非常に意義深い。子ども、高齢者、障害者を含めて、もしすべての国民が貧困から解放されたら、その場合に労働観はどうなるか、それでも自由競争による格差が問題になるのかなど。しかし政治の議論としては、たとえ部分BIであっても、実現により近づける方向を探りたい。部分BIといっても、大人2人、子供2人の世帯なら合計で月15万円のBI(ちなみにスイスBI案ならば月30万円)になる。結構な額だ。すると、たとえば「農業に関わりたいので今の仕事をやめたい」とか「地域活動にもっと時間を割きたいので就労時間を短くしたい」とか「大学院に進んで勉強を続けたい」など、自分の社会環境が変化するときに余裕が持てる。さまざまな「働く自由」が期待できるかもしれない。ちなみにトマス・ペインは「農民の正義」(1797)のなかで高齢者の年金に加えて「若者の就職準備金」のような最低限所得保障の重要性を書いているとのこと。各自が求める仕事に向かっていく姿勢を社会が応援するしくみとしてBIを考えられないか。

ページの先頭に戻る