平智之の活動ブログ

報道ウォッチ

ホームグロウン・テロリストと若者について

2016年8月27日 19:34

公安調査庁.jpg

公安調査庁のホームページを転載

●若者の犯罪のニュース
若者の犯罪について多くのニュースを見る。
近年になってそうした若年層の犯罪発生が多くなったのか、昔も同様に犯罪は発生していたけれども関連する報道が少なかっただけなのかは定かではない。

●心と身体のエネルギー
いずれにしても心と身体の振れ幅が大きい若年層が極端な行動に走り、それが犯罪に結びつくことがあるのだと思う。そもそも人は社会経験を積み重ねながら感情を暴発させない心理的で社会的な技術を徐々に身につけるのだから、それが十分でない若い間の心と身体のエネルギーが暴発するリスクは常につきまとうだろう。

●ホームグロウン・テロリスト
そうした傾向が特に欧米先進国では若者によるテロ行為につながっているかもしれない。欧米の若者が過激な思想を有する組織や集団の主張に感化されてテロ行為を起こすとされているケースだ。これに関連して『ホームグロウン・テロリスト』という言葉がある。公安調査庁のホームページには次の様にある。

ホームグロウン・テロリスト」の脅威
「ホームグロウン・テロリスト」とは,一般的には,欧米諸国に居住する者で,「アルカイダ」などの唱える主義主張に感化されて過激化し,居住国でテロを行う者を指す。「ホームグロウン・テロリスト」の過激化は,通常,居住国においてインターネットなどを通じて進行するとされる。


●若者が選んでいる可能性
先日この分野に詳しい方のお話を聞いたところ次の様に語っておられた。
「テロ組織が若者を選択しているのではなく、若者がテロ組織を選択している可能性もある」
つまり若者はいつの世も急進的なのであって、常にそのような刺激を外部に求めており、たまたまそこにアルカイダが主張するような「個人的ジハード」の教唆を見つければ、それに乗ってしまうこともありえる、という主旨だ。考えてみれば60,70年代の学生運動も、現在も頻発する学校のいじめも、若者が持つ心と身体のエネルギーが起こす現象という部分もあるかもしれない。

●ネット時代の規制
 映画が上映される直前にPG15やPG18などの表示を見ることがある。15歳以下は観てはダメ、18歳以下は観てはダメという指定である。報道や表現芸術の域を超える極めて過激な内容について、このような社会的配慮は重要であろうし、もちろん表現の自由も重要であるから、「規制の在り方」については今後も大いに検討していく必要がある。しかし一方で「規制できるのか」という問題もある。ホームグロウン・テロリストは映画で情報に触れているのではない。インターネットでジハードの情報に触れている。こうしたネット経由の情報を完全に規制することは不可能だという点を無視することができなくなっている。

起こった後のフェール・セーフを
 今後は若者による過激な行動が起こり、それがテロを含む犯罪的な行為につながった場合に、その事後のリスクとどう向き合うかについての社会的な技術を磨いていかなければならないと思う。そのような事態が起きないような対策は引き続き重要であるが、ネット社会の情報環境においては絶対に起きないようにすることがそもそも不可能であろうから、「起こらない対策」と同等かそれ以上に「起こった後の対策」に力を入れる時代に入りつつあるのではないか。そうなると、たとえばノルマライゼーションが主張する「私たちがお互いを区別することなく社会生活を共に営んでいく姿勢」のように、たとえば若者の過激な行動等に対して社会的な更生を促すような制度や施設のあり方を再考する時が来ているのかもしれない。皆さんお気づきのとおり、これは実に難しい問題だ。解決方法が見えない。つい理想論やキレイごとで片づけたくなるだろう。しかし欧米先進国における昨今のホームグロウン・テロリストと若者のニュースを見るにつけ、そんな悠長な状況でもないと感じるのだ。

●京都三条ラジオカフェの番組
 以上のようなことをラジオ番組でお話ししました。ご視聴ください。

平智之の報道ウォッチ【FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ】
2016年8月27日放送分「ホームグロウン・テロリストと若者について」

格差拡大ではなく貧困層拡大の時代

2016年7月24日 21:11

2000年以降のジニ係数.jpg

「平成23年 所得再分配調査結果」、厚生労働省、平成25年 10月 11日より平が作成


●収入格差は横ばい
 社会全体で見ると2000年以降の日本の格差は、ほぼ横ばい、または格差是正の方向となっている。(上図参照)資産格差も拡大と言える状況ではない。つまり、いまのところ日本は所得・資産ともに「格差が拡大していく社会」ではないようだ。そもそも歴史的に好景気が続く時は格差が拡大し、不景気が続く時は格差が縮小するのが通例で、日本でもバブル期の80年代には格差がゆるやかに拡大し、失われた20年に含まれる2000年以降で格差は拡大してこなかった。すると「格差が拡大したじゃないか。どうしてくれるのだ。」という言い方は「景気がよくなったじゃないか。どうしてくれるのだ。」という理屈と同じになる可能性に注意を要する。言い方を変えると「格差を是正せよ。」という理屈は「景気の拡大を抑えろ。」という理屈になりかねない。日本の場合は格差ではなく別の視点が必要ではないか。

●貧困層が拡大している
 それこそが貧困率の問題だ。低所得層および貧困層の拡大という視点だ。日本は全体として格差拡大社会とは言えないが、その内部で貧困層が拡大する社会である。格差が拡大していないのに低所得層が拡大している。どういうことか。たとえば貧困層から富裕層までの階段があるとすると、その「所得の階段」が沼にズブズブと沈み込むように落下しているようなイメージだろう。沼に沈み込んだ部分(つまり低所得基準未満になった人)がどんどん増えているという状況である。

●貧困対策をどうするのか
 いま求められる経済対策のポイントは、消費拡大や産業分野の景気刺激策も重要だが、同時に早急な救貧と念入りな防貧だろう。とりわけ三つの深刻な貧困率がデータでも浮かび上がっている。
・子供の貧困率
・母子家庭の貧困率
・高齢者(特に女性の単身世帯)の貧困率
こうした低所得層及び貧困層への対策をどうするのか。これは重要な経済政策であるが非常に難しい。単純な問題ではない。富裕層から貧困層に富を移転したらいいのだ、借金が増えてもいいから貧困層に現金・現物給付したらいいのだ、というような単純な問題ではない。

●富の移転が賛同されにくい
 私は日本のように「世界の中くらいの格差レベル」で、なおかつ「格差が拡大しているわけではない社会」における貧困対策は非常に難しいだろうと思っている。米英のように格差が大きな社会ならば、トマ・ピケティが提唱する累進富裕税のように思い切って富裕層の富を貧困層に移転できるかもしれない。低所得層と貧困層が多数派だからだ。しかし日本は米英よりも緩やかな格差社会だ。格差是正の政策に不満を感じる層も多数いることになる。賛同が得られにくい。このような日本社会で貧困対策をどのように創るのか。発明の覚悟が必要だ。タブーを乗り越える経済政策が必要だと思う。

●京都三条ラジオカフェの番組
 以上のようなことをラジオ番組でお話ししました。
ご視聴ください。

平智之の報道ウォッチ【FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ】
2016年7月23日放送分「格差拡大ではなく貧困層拡大の時代」

お釈迦さんの「伝えられない」

2016年4月24日 16:19

弘法さん20160421.jpg

平成28年4月21日 大宮東寺道の門前にて

●春雨の弘法さん
本日も弘法さん(2016年4月21日)の日、大宮東寺道の門前に立たせてもらいました。
春の日差しと思いきや春雨。しかし心地良い空気でした。
次のようなお話をさせてもらいました。

●もともと心のなかにある
高校時代の宗教の時間、とても気になることを教わりました。「仏の教え(真理の境地)は、どこか遠くにあるのではなく、最初から君たちの心の中にある」そのことを弘法大師は次の様に表現されたそうです。
『仏法遥かにあらず、心中にして即ち近し』
お葬式でお棺の仏さんが生前には見られなかったほど優しいお顔をされるのを、みなさんもご存じだと思います。意地も恨みも怒りもなくなって、額や目元や口元から緊張がなくなると、もともとのお顔に戻る。仏さんは最初から心中におられたのかなと、ふと感じますね。

●伝えられない、いや伝えて欲しい
また次のことも、とても気になることでした。「お釈迦さまが真理に気付いたとき、こんな微妙なことを人々に"伝えられない"と言われた」と。40年前の高校生当時の私にとって、これは非常に気になりまして、いまでもその時の先生の表情をはっきりと覚えております。それでは、なぜお釈迦さまは布教されたのか。「神が降りてきて、どうか広く伝えて欲しいと何度も頼まれた。それでお釈迦さまは布教の旅を始められた」と。神とは梵天や帝釈天だそうで、この経緯を「梵天勧請」というのだそうです。つまり「伝えるか」「伝えないか」について非常に悩まれたのではないでしょうか。

●世界の宗教のこれから
このようにして始まり、拡がり、根付いてきた仏教がいま日本で危機的な状況にあるとの研究があります。在来仏教では檀家数の減少と住職不在で廃寺が急速に進行しており、また新宗教でもごく一部を除いてその会員数が急減しているとの分析もあります。フランスでは政教分離政策の帰結として、またドイツでも宗教税などの影響でキリスト教徒が減少傾向なのだそうです。また米国も全体としてはキリスト教徒が多数派ですが、白人だけを見ると無宗教や無神論が伸びていると。

(参考情報)
・日本国内7万箇寺のうち今後10年程度で2万箇寺が廃寺のリスクとの分析あり
・フランスでは毎日曜教会へ行くカトリック信者の割合が27%(1952年)から4.5%(2010年)にまで減少との調査あり
・ドイツはドイツ国教会の維持費を税(所得の8~10%程度)で保障
・カリフォルニア州では白人キリスト教徒の割合が25%で少数派とのデータあり


●国王が英国国教会の首長
英国でも国民の7割がキリスト教で、うち6割が国教会だということですが、国教会の教会が少しずつ廃止になりつつある、とのニュースもあります。英国は国王たるエリザベス2世が英国国教会の首長を兼ねていますから、そのような事態は好ましくないとお考えでしょう。そのエリザベス2世の90歳のお誕生日が、今日の弘法さんと同じ4月21日(1926年4月21日)であります。世界の英国連邦の国々でお祝いされていると思いますが、国教会の将来についても、いろいろお考えなのではないでしょうか。

(参考ニュース)
英国⇒国教会では毎年約20カ所程度の教会閉鎖
ドイツ⇒カトリック教会が過去10年間で500教会を閉鎖
オランダ⇒カトリック教会(現在1,600)の3分の2が10年以内に閉鎖予測
フランス⇒カトリック教会が廃止でイスラム寺院に転売された事例、など

●福音派とムスリムの拡大
これからの宗教はどうなっていくのでしょうか。中国では貧しい内陸部から仕事を求めて沿岸部に大量の人々が移動し、そうして都市部に移住した人々の寂しい心の隙間を埋めるようにキリスト教の福音派が拡大しているそうです。一億人規模とも言われます。(『宗教消滅 資本主義は宗教と消滅する』、島田裕巳著、SB新書を参照 )最近、習近平国家主席が「仏教は中国の文化だ」と発言したのは、この福音派の急拡大への配慮も関係していると言われています。ブラジルでも福音派が急拡大しているそうです。またご案内のとおり、大量の移民に揺れる欧州ではイスラム教を信じる人々が拡大しています。

●これからの宗教
縮小するところ、拡大するところ、世界で相半ば。でもよく考えると、この拡大とか縮小とは、何々教とか教団の信者数という形式や数字のお話しですよね。そこでもう一度思い出します。お釈迦さまが「伝えられない」と思われた点です。金銭欲や名誉欲や差別感などにまみれない穏やかな気持ちは、本来私たちが心中にもっていて、だから自分の内面で気付けばいいことだと。もしかするとお釈迦さまは、教団とか形式とか所作などが、そもそも人々の気づきのお手伝いをすべきところ、その維持や拡大を目的としてしまうことに最初から気づいておられたからこそ「伝えられない」と言われたかもしれないと勝手に感じます。もともとご自身が王子でしたから、国家管理の"形式の力"の副作用に敏感だったかもしれません。

●宗教と信仰の並存
組織力や信者数という形式を「宗教」と呼び、個々人の信じる力(あるいは理想の力)を「信仰」と呼ぶとすれば、これから宗教と信仰が並存するかたちで世界の人々に浸透していくのではないか。そこから政治や経済にさまざまは現象がもたらされるかもしれないと、今日はそのようなお話をさせていただきました。また来月参ります。ありがとうございました。

●平智之の報道ウォッチ(ラジオ番組)
2016年4月21日、弘法さんの街頭でお話しした内容の一部をラジオ番組で語りました。
平智之の報道ウォッチ【FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ】
2016年4月23日放送分『英国国教会首長の誕生日』
スペインのイスラム化などについても語りました。すこし複雑な内容になりました。

【報道ウォッチ35】 鳩山元総理のクリミア訪問

2015年3月15日 13:09

●クリミア訪問でひとつの論調しか見えない
鳩山元総理のクリミア訪問について一つの論調しか見えてこない。政府から評論家に至るまで「政府の制止を顧みずにクリミアへ行ったことは国益を大きく損なう行為」「日本国の総理経験者としてあるまじき行為」という論調ばかりだ。

●なぜ?と思わないか
驚くべきことだと思う。鳩山元総理の意図を探る視点、つまり「なぜ鳩山氏は大きな批判を覚悟してまでクリミアへ行ったのか?」という視点の報道が見つけにくい。これまでの中国訪問中の尖閣問題に関する発言、そしてイラン訪問中の核査察問題に関する発言を経て尋常ならざる批判を受けてきた鳩山元総理だからご存じないはずはない。クリミアへ行くだけでメディアとそのメディアの報道に影響される世論から再び大きなバッシングを受けることを。それでもなぜ断行したのか。不思議に思うのが自然だ。「なぜ敢えて行ったのか?」みなさんはどう思われるだろうか。

●明確な意図がなければできない
自分自身も原発問題等で厳しい批判を経験した。特に身近な者や強い支持者からの批判は辛い。それが元総理であればインパクトは計り知れない。波状の人格攻撃は厳しい。だからしばしばネット上で散見されるような「目立ちたいから」や「KY外交」などの揶揄はあたらない。そんな呑気な理由でやれることではない。そうした視点を一度自分の体験と仮定して想像いただきたい。明確な意図がなければできない。

●レアメタルの専門家がクリミア訪問を論考
どんな意図なのかについて、レアメタル専門家の意見がネット(東洋経済オンラインに)で掲載されている。
『鳩山由紀夫元首相は、宇宙人か馬鹿か天才か』
クリミア半島での「無謀な行動」を分析する
筆者は中村 繁夫氏(アドバンストマテリアルジャパン代表取締役社長)。
ぜひ一読いただきたい。 記事はこちら

●一見狂っているようだが当たり前の意見
レアメタル商社を経営し、2月にはモスクワを商談で訪れた筆者はロシア人の意見も聴きながら次のように述べている。

『NATO加盟国以外の世界の世論は、中立の立場である。中立の立場とは「米国の意見も聞くし、ロシアの意見も聞く」という、子供でもわかる理屈である。一見狂ったように見える由紀夫氏の考え方は「ロシアの意見も聞く」という当たり前の意見を言っているにすぎない。』

●友好条約と天然ガスとシベリア開発
また筆者は「鳩山元総理を非難する人々こそが日本の国益を損なっている」という主旨(平解釈)の視点を次のように述べている。

『専門家はお見通しだが、プーチン大統領は日露平和友好条約の締結とサハリンの天然ガスの共同開発とシベリア開発を心から推進したいと考えている。これまでも何度となく日本政府にラブコールを投げかけているのに、私から言わせれば、日本の「洗脳されたロシア性悪説論者」が邪魔をしているのだ。早い話が今回の由紀夫氏を貶めようとしている面々とも言える。』

●反米も対米従属もちがう、という立場
さて、この記事の筆者と私の共通点は「米国が好き」という点だ。反原発と反米がセットになっている方々もおられる(そしてそれはひとつの見識だ)が私は米国好きで原発反対だという点を集会でも述べてきたし拙著にも書いてきた。単純にすべてをワンセットにして、それ以外は間違いだと断じる姿勢があるとすればそれは民主的ではない。私はかねがね「反米は有益ではないが同時に対米従属もリスキーだ。外交において日本はひとつの姿勢に偏るリスクを取るべきでない。」という主旨のことを言ってきた。同じことを筆者が次のように書いている。

『誤解のないようにいっておくが、私は米国が好きだ。だが、一方で、対米一辺倒型で万事うまくいくほど、外交は簡単ではない。米国一辺倒では得られるものは極めて少ないのもまた事実なのである。新興国を中心にレアメタルビジネスを展開している筆者だからこそ、声を大にして訴えたいのだ。』

●米国が好きな人
そして鳩山元総理もまた米国が好きな人物だろうと思う。そもそも母校が米国のスタンフォード大であり、当校のフットボールチームがローズボール(全米大学No1決定戦)に出場することを嬉しそうに話されるのを直接聞いたことがある。クリミアを訪問するのは鳩山元総理にとって反米的行為ではなく、むしろ親米派の鳩山氏による日米露の架け橋の意味や可能性も考えたい。

【報道ウォッチ34】 古賀氏の「I am not Abe」

2015年2月 3日 00:12

シリアにおける邦人殺害予告事案に関する関係閣僚会議.jpg平成27年2月1日、シリアにおける邦人殺害予告事案に関する関係閣僚会議(首相官邸HPより転載)


●総理の会見『償わさせる』
2月1日早朝、安倍総理は首相官邸のぶら下がりで次のように発言した。
『ご家族のご心痛を想うと言葉もありません。政府として全力で対応してまいりましたが、まことに痛恨の極みであります。非道卑劣な、卑劣極まりないテロ行為に強い怒りを覚えます。テロリストたちを決して許しません。その罪を償わさせるために国際社会と連携してまいります。日本がテロに屈することは決してありません。食糧支援、医療支援といった人道支援をさらに拡充してまいります。そしてテロと戦う国際社会において日本としての責任を毅然として果たしてまいります。』(2/1、首相官邸、午前6時40分過ぎ)

●「償わさせる」ことは可能なのか?
集団的自衛権の限定的行使容認は昨年7/1に閣議決定されたが、それで「償わさせる」ことは不可能だ。できるのは「自分の身を守る」ことだ。武力行使の新三要件(①我が国の存立を脅かす明白な危険性(急迫不正から変更)、②他に方法がない、③必要最小限)については、昨年7/1の閣議決定直後に総理が発言したとおり「憲法の規範性を何ら変更するものではなく、新三要件は憲法上の明確な歯止めとなっています。」であるから、現行憲法によりテロ行為に対して「罪を償わせる」ことができる法理を作れると私には考えられない。どんな論理で「人道支援」と「罪を償わさせる」がつながるのか。

●官房長官はさらに強いトーン
野党等の追求によって発言の撤回または訂正があるかと思ったが、官邸のホームページには「シリアにおける邦人殺害予告事案に関する関係閣僚会議」での冒頭発言としてほぼ同じ発言内容が掲載されている。時間の異なる会見で同じ内容だとしたら、これは原稿だ。そして、翌日の菅官房長官は会見で「昨日総理が発言しますけど、この罪を償わせるために、国際社会と連携していく」と明言している。「人道支援」が抜け落ちて、「国際社会と連携して償わせる」という強いトーンになった。

●「首相声明、自ら加筆」との報道
事務方(官僚側)の原稿で「償わせる」という文言が使われることは考えにくい。すでに報道では「首相が自ら加筆した」とある。これが本当ならば国防に重大な影響を及ぼす行政行為だ。政府は行政府だ。行政と立法の分立の原則により立法側の自民党内部からも異論が出ていることを願う。どこまでが事務秘書官の作文で、どの部分が政治家の加筆なのかを見定めて欲しい。平成23年12月26日に野田総理(当時)が「発電所の事故そのものは"収束に至った"と判断をされる、との確認を行いました。」という発言でも同じ憶測が流れた。誰が「収束に至った」と書いたのか。

●集団的自衛権と原発再稼働の共通点
昨年夏、私は『集団的自衛権と原発再稼働の共通点』という講演会を開催した。その時の私の論点は「与党がどこであっても、総理が誰であっても、消費税は上げるし、原発は再稼働する。政治家と関係なく官僚が一貫している。」という主旨だった。しかし今回は逆の論点となる。行政の一貫性を超えて政治が独り歩きする場合の危険性だ。どちらもあって複雑だ。

●古賀氏の「I am not Abe」
その意味で、古賀茂明氏が報道番組で発言した「I am not Abe」に意義がある。一見、賛成vs反対の"明快な争点"とも受け取れるが、その真意には政治家と官僚が織りなす司法・行政・立法の混沌とした複雑な意思決定プロセスを知り抜いたうえでの視座があると思う。"読み切った論点"も民主主義にとって欠かせない。

【報道ウォッチ33】 1号機建屋カバー撤去で思い出すこと

2014年10月22日 23:02

1号炉カバー設計.jpg

●本日(10/22)から1号機のカバーの解体
本日から福島第一原発で唯一カバーに覆われていた1号炉建屋で、そのカバー解体工事が始まったとの報道。2011年11月に設置されたが、3年後に燃料プールから燃料棒を取り出すために撤去が必要とされている。

●技術力を要する工事だった
1号炉カバーは13~14階建のビルと同じくらいの高さで54m。東京ドームの高さが56mでほぼ同じであり、平面(東西×南北)は東京ドームの1/6。つまり1号炉建屋カバーを6つ合わせると、ちょうと東京ドームになる。大きな構造物だ。

●1号炉建屋カバーの設置をお願いしたのは私だった
1号炉建屋カバーの設置を要請したのは私だった。2011年に夏、私は東電に出向いて建屋にカバーをかけてくれるよう強く要請した。

●東電エンジニアと私の会話
東電の施設部は当初消極的だった。当時の東電エンジニアと私の会話の概要を以下に再現する。
平:「核分裂生成物の飛散を防止するために建屋にカバーを付けてほしい」
東電:「それは難しい」
平:「なぜ難しいのか」
東電:「熱も放射能もこもるから作業環境が悪くなる」
平:「放射能飛散の防止が最優先だ」
東電:「作業環境も大切だ」
平:「フィルターや空調などで工夫できないだろうか」
東電:「そのまえに巨大な覆いだから重量的にも難しいだろう」
平:「なんとかならないか」
東電:「放射能飛散の防止という目的は納得する」「検討してみる」

●真剣さに真剣に応える
その東電エンジニアとは統合本部でその後も何度もお会いした。私も参加していた統合本部で1号炉建屋カバーの計画概要を説明しておられた。そのエンジニアは統合本部で何度か私に向けて「平さんは真剣に考えている」という主旨のことを言ってくれた。その真剣さに、ご自身の東電でのお立場を賭して応えてくれたのだと信じている。

●私が東電を敵視しない理由
結果として、統合本部は1号炉建屋にカバーを設置することを決定した。私の実感として上述の東電エンジニアとは理屈と常識で話ができた。純粋にエンジニアとして放射能飛散防止の意義とカバー設置の工学的困難さを比較しておられた。この経験から私は、東電が「3.11直後に吉田所長や東電トップが撤退を考えていた」という説に疑問をもっている。撤退は理屈にも常識にも合わず、東電がそのような判断をする組織とは思えないからだ。当時の民主党官邸(総理、官房長官、副長官等)が東電悪人説による自己正当化を認識して誘導している可能性を感じている。

●立派な姿勢を思い出す
現場は真剣で真摯な判断でうまく動く。「まあいいか」はない。現場で妥協を許さない人間同士に相手を謀ったり陥れる意図は働かない。その点が理解されないのが残念だ。1号炉建屋のカバー撤去の報道で、あの夏の暑い日に、「検討してみる」と発言された東電エンジニアのプロとしての姿勢を思い出す。

【報道ウォッチ32】 吉田所長は住民避難を求めていた

2014年8月20日 01:29

吉田所長の住民避難.jpg

●撤退は許さない
 吉田調書を巡る報道が続く。菅政権の頃、「福島第一から撤退する」という吉田元所長(故人)の発言があったとの報道がなされ、それに対して「撤退は許さない」「撤退したら東電は百パーセント潰れる」という菅総理(当時)の発言があったとの報道がなされた。しかし今、新聞社が入手した吉田調書に「撤退という言葉は使っていない」という主旨の吉田元所長の言質が残されているとの報道がなされている。

●言葉ではなく内容
吉田元所長の言葉も菅元総理の言葉もそれは報道の限りで実際の言葉も経緯もわからない。しばしばこのような報道では言葉ではなく内容を考える必要がある。当時の報道は、「東電の撤退で炉が放置されかねなかったが、それを総理が食い止めた」という印象の流布だった。強烈な報道だったと思う。炉が放置されたら東日本全体が脱落していたかもしれない。そのような結果に至る判断を吉田元所長がしていただろうか。現場の所長を含めて全員で撤退などという決断をするだろうか。

●10条通報に残っている
実は吉田元所長が発災直後にどのような思いであったかについては証拠がある。原子力災害特別措置法(原災法)に規定される10条通報(原子炉に異常な事態(特定事象)が生じた場合に現場所長から各関係機関に通報する義務)の原文が公表されている。(下図参照)

●住民の避難を求めていた
3.11発災直後、吉田元所長は10条通報のなかで次のように書いている。
「地域住民に対し、避難するよう自治体に要請の準備を進めております」(上図参照)
吉田元所長は炉周辺の住民を守ろうとしていた。

●自分が所長だったら
10条通報は、経産省、文科省、福島県、原発立地の近隣地町村をはじめ関係機関に一斉に発出される。吉田元所長は自分の考えを原子力関係のすべての人々に周知していた。自分が吉田元所長だとしたらどうだろう。「地域住民を守る」と公言する自分が「自分も含めて全員の撤退」を考えるだろうか。みなさんも自分を当時の所長だと仮定してご想像いただきたい。

●「現場を見に来て下さい」という吉田所長
元所長が最低限の人員以外の退避を指示された可能性は十分にあるが、炉を放置するような全員の撤退を指示されたとは私には考えられない。2011年、政府・東電統合本部で一度だけ吉田元所長にお会いした。毎日朝10時の東電本社会議に来られた。会議中、一言も発言されなかったが、お帰り際に言われたことは「現場を見に来て下さい」の一言だった。非常に実直な印象を思い出す。全面撤退という印象を与える当時の報道はどうしてもミスリードに思える。だから「それを食い止めた不退転の総理」という印象の報道にも強い違和感を感じる。

●「自治体への要請」とは
1点だけ気になることがある。10条通報にある「避難の自治体への要請」はあったのか。あったとすれば、どのように扱われたか。官邸からの避難指示は3.11の21時前に半径2km以内で出たとの記録があるが、現場所長から福島県や近隣市町村に直接「逃げろ」の要請があったとしたら、それを当該自治体はどのように扱っただろう。原発災害時におけるオフサイト対策として重要な教訓のはずだ。


10条通報全体.jpg

【報道ウォッチ31】 敵基地先制攻撃までいくのか

2014年8月 2日 23:54

武器輸出 武器輸出三原則.jpg

●憲法9条第1項に違反する危険性
4月に閣議決定された防衛装備移転三原則を施行すれば、ますます他国のとの防衛装備共同開発が進むだろう。この制度のままでいくと、他国との武器の共同開発は標準化などを通じて世界への武器供与となり、国際紛争への関与につながりうる。その結果、日本が国際紛争を解決する手段で武力による威嚇や武力の行使に関与する事態となれば、それは明確に憲法9条第1項に違反する。

●集団的自衛権容認の三か月前
この事態の発端は、集団的自衛権容認(7月1日)の三か月前(4月1日)だった。それまでの武器輸出三原則のポジティブリストを防衛装備移転三原則のネガティブリストに反転させた。ネガティブリスト化したということは一部の例外を除いて原則として武器輸出が解禁されたことを意味する。(上図参照)

●ポジティブリストとネガティブリストの違い
ポジティブリストとは「できる(ポジティブ)こと」を明確化して、それ以外は禁止する制度。ネガティブリストとは「できない(ネガティブ)こと」を明確化して、それ以外は容認する制度。つまりポジティブリストは原則禁止の制度であり、ネガティブリストは原則容認の制度となる。(下図参照)


武器輸出 原則の反転.jpg


●敵基地先制攻撃にもつながりうる
原則禁止の武器輸出三原則から原則解禁の防衛装備移転三原則への反転は、60年前に原子力委員会が設置された時の核廃絶から核利用への反転と同様に唐突である。近々、航空自衛隊に「航空戦術教導団」(仮称)が設置され、敵基地先制攻撃の戦術が検討される。この構想は1月から練られてきた。敵基地先制攻撃論(1月)⇒防衛装備移転三原則(4月)⇒集団的自衛権行使容認(7月)の流れがある。実は敵基地先制攻撃能力の確保が根底にあるのかもしれない。

●来る8月9日の講座(下記)に参加ください
以上のような点を下記の講座で述べます。ご参加ください。
・テーマ:『集団的自衛権と原発再稼働の共通点』
・日 時:平成26年8月9日(土) 15:30~17:30
・場 所:朝日カルチャーセンター湘南教室(下図参照)
・申込み:こちらから

お申込みお待ちします。   前衆議院議員 平 智之

【報道ウォッチ30】 川内原発-国会議員の検証力の問題

2014年7月16日 16:18

川内原発審査書案.jpg

平成26年7月16日 原子力規制委員会の配布資料(川内原発の審査書案)


川内原発が「今秋にも再稼働する見通し」との前のめりな報道。根拠は規制委から公表された審査書案だが、まだあくまでも(案)の段階だ。国会議員が火山、サイバーテロ、基準地震動等の過小評価を論理的に指摘すれば、審査書案を"吊るす"か"撤回"に持ち込むことはできるはずだ。


●審査書案の位置づけ
「川内原発が秋にも再稼働の見通し」という報道の根拠は審査書案にある。審査書案とは、九州電力から提出された再稼働申請書(正確には「発電用原子炉設置変更許可申請書」)に対する委員会側としての審査の途中経過。つまり以下のような構図である。
・九州電力→規制委     再稼働の申請書
・規制委→経産省、九州電力 上記申請書の審査書案
この審査書案が正式に審査書になれば、立地自治体の議会承認等を経て経産省による再稼働の許可となる。つまり、この資料はまだ(案)の段階なのであり、明日、平成26年7月17日(木)から平成26年8月15日(金)までの約一か月公開されて議論に付される。

●まだ案に過ぎない
「秋にも再稼働の見通し」という報道は新聞社として断言が過ぎる。審査書案は(案)であるから本来的に規制委の内部資料であり、まだ修正を続けているところのものだ。現案では、火山噴火、サイバーテロ、基準地震動等が著しく過小評価されている可能性が高く、規制委に新たな検討項目や基準が加われば、当然案も変更される。だからこそ公表している。

●審査書案と避難計画と
少なくとも九州選出の国会議員におかれては、川内原発の審査書案を読み、規制庁の担当官から不明点の説明を求め、さらに規制委員の聴取を行うなどして、内容に矛盾がないかを徹底的に検証いただきたい。あわせて地元県市町村の避難計画も検証いただきたい。

●動かせるはずがない
国民はパブコメとして意見を寄せることになるが、国会議員の場合は規制委の事務局である規制庁の担当官から直接回答を求めることができる。担当官がきちんと回答できなければ審査書案を審査書として決定できない(立法・行政の分立の微妙なラインもあるが)ので再稼働はできない。先述の火山、サイバーテロ、基準地震動等の過小評価の指摘に対して、規制委からの合理的な回答は不可能だと思う。政治が論理的な交渉をすれば再稼働はできない。だから政治の責任は重い。

●国会議員の検証力の発揮を
重ねて主張したいが、国会議員が論理的に規制庁の担当官や規制委員を追求すれば再稼働はできない。だから数十名の脱原発を掲げる国会議員(主として野党)はきちんと審査書案の"検証"という仕事を貫徹してほしい。

●冷静に政治家を見定めてほしい
審査書案の修文協議と撤回は「再稼働反対」という連呼の問題ではない。プロフェッショナルな検証力の問題だ。「やるだけやった」「再稼働などけしからん」「政府の横暴だ」という言辞や抗議行動ではなく、行政との"手続的"な仕事で原発を止めることができるかどうか、冷静に政治家を見定めてほしい。

【報道ウォッチ29】 米国は「行使容認を支持」とは言ってない

2014年4月27日 23:26

日米共同宣言.jpg

本日(4/27)、NHKは討論番組のなかで日本の集団的自衛権行使容認を「米国が歓迎し、支持した」と断定した。しかし日米共同声明(4/25)には「米国が行使容認を支持した」とは書かかれていない。


●歓迎し支持したこと
前回の【報道ウォッチ28】と同様の視点だが、その後に発表された日米共同声明で再び問題ある報道がなされているので、ここに詳細を述べる。外務省及び米国ホワイトハウスのホームページに日米共同声明(4/25/2014)が掲載されている。集団的自衛権(the right of collective self-defense)の部分を以下に抜粋する。

(英文)
The United States welcomes and supports Japan's consideration of the matter of exercising the right of collective self-defense.

(外務省邦訳)
米国は,集団的自衛権の行使に関する事項について日本が検討を行っていることを歓迎し,支持する。


●行使そのものを歓迎し、支持したわけではない
上図で構造をご覧いただきたい。歓迎し、支持したのは「行使そのもの」ではなく「検討を行っていること」である。「行使の支持」と「検討の支持」は意味が違う、というのが常識だろう。もし米国が行使容認を歓迎し、支持したのなら次のように表現すると思う。

The United States welcomes and supports Japan's exercising the right of collective self-defense. (米国は,日本の集団的自衛権の行使を歓迎し,支持する)

NHKだけでなく多くのメディアが「集団的自衛権の行使容認を米国が支持」という見出しを打ち、米国が強く行使容認を求めているかのような印象を国民に与えているのは問題ではないか。


●「個別的自衛権の範囲」の解釈も検討対象
米国は当然のことを歓迎し、支持している。関心の中心はオバマ大統領の政策である国防費削減の遂行とそれにともなう軍備配置の変更(ex.アジア太平洋リバランス)の継続をアジア主要国である日本で宣言することだろう。そのために日本がいま、極東を含む現今のアジア情勢に鑑みて「何ができて何ができないのか」を集団的自衛権行使の違憲を前提に再検討することは当然である。特に「集団的自衛権の行使が違憲だから国際貢献できない」としばしば指摘される事態想定が実は「個別的自衛権の範囲」で解釈できないか、もう一度吟味することもまた当然であろう。


●行使容認への賛成・反対ではない
もちろん共同声明の表現は集団的自衛権の行使容認に反対もしていない。日本国民が憲法96条による国民投票で9条改憲を選択し、集団的自衛権の行使を容認する判断を示すのも合憲であるから、そのような結論に至ることを共同声明が排除できる道理もない。共同声明は行使容認への賛成・反対を表明しているのではなく、あくまでも現行憲法で集団的自衛権の行使が違憲であること(matter of exercising the right of collective self-defense)を前提として、極東を含むアジア和平に日本がどのように貢献できるかを国民的議論として検討すること(Japan's consideration)を歓迎し、支持しているのだと考えるのが自然ではないか。いきなり「集団的自衛権の行使容認を米国が支持した」と報道することにはメディア側の恣意性を感じる。

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