プロフィール

生まれてから大学入学まで

1959年7月10日 京都市中京区生まれ

京大助教授であった父と「江戸っ子」の母との間に生まれる。そのため、生まれたときから京都弁と標準語の「バイリンガル」でした。
兄と妹に挟まれる“かに座B型”の典型的次男タイプ。

松ヶ崎小学校の時は、京都踏水会に通い水泳少年でした。小学6年の時は生徒会長をしました。
下鴨中学校ではハンドボール部に所属。サイド専門でした。

1975年4月 洛南高校に入学

洛南高校では福井孝巳先生に担任いただきました。当初は自宅通学でしたが、どうしても寮に入りたかったので、1年1学期の終わりに意を決して頭を丸坊主(右写真)にして突撃。
「寮に入れてほしい」と福井先生に懇願。
希望どおり東寺に近接する睦寮に入寮。
以降、卒業まで東寺境内で高校生活を過ごしました。

厳しい戒律の日々、毎月21日の弘法市に行くのが、最大の楽しみでした。

洛南高等学校の創始者である三浦俊良先生は「社会に献身せよ」の精神と行動を身体に叩き込んでくださった人生の師です。三浦先生を思い出すだけで今でも背筋が伸びます。


1978年3月 洛南高校に卒業

京大を目指すも入試に失敗し、一年間近畿予備校にて浪人生活を過ごします。当時テレビゲームが大ブームとなり、ゲーム機のある喫茶店に通う日々・・・しかし、そんな怠惰な浪人中に父が急逝。父が亡くなったことがきっかけで猛勉。京大工学部・物理工学科に入学することができました。

エンジニアを目指した学生時代

1979年4月 京都大学工学部物理工学科に入学

父の仕事が知りたくて、生前父が教授をしていた研究室に入り、高温材料強度学の権威である大谷隆一教授に金属材料のことを教わりました。

課外では、京大カヌー部に所属(2回生の時、関西学生選手権ペア10,000メートル準優勝)。冬はカヌーができないので、テニス同好会アトランティスを結成。

また、学生ボランティア集団である関西学生クリエートをつくり、初代代表になりました。(山井和則衆議院議員は関西学生クリエート2代目代表です)

1983年4月 同大学院に進学

京大修士1年のときに金属ではなくファインセラミクスに関心を持ち、米国留学を決意しました。当時国内には、まだ窯業学会があるのみで、京都セラミックス(現、京セラ)以外は、大学も企業もファインセラミクスの可能性を過小評価していたと思います。

金属はレア(希少)だけれども、セラミクスの原材料は二酸化ケイ素(つまり地球そのもの)ですから、もし曲げたりねじったりしても割れないセラミクスが作れたら地球は再び「石器時代に戻る」という信念を持っての渡米でした。

(注意)もし私が米国で割れないセラミクスの発想を見つけていたら、その後「禁原発」を主張することはありませんでした。2700℃でも溶けないセラミクスを圧力容器にできるからです。でも、それは工学的に不可能だというのが当時の、そして現在でも私の認識です。

1983年9月 米国UCLA大学院に入学

UCLAで念願のファインセラミクスの研究にまい進しました。TA(研究助手)として、SiCやSi3N4の強度測定データを研究委託先に納品していました。当時はまだ先発明主義の米国でしたから実験ノートの記録には非常に厳しかったです。
研究成果で報酬を貰うエンジニアとして緊張の連続でした。

一方、米国でも工学の勉強だけではなく社会活動をやりたいと思い、州法に基づく文化交流NPOを結成。その活動で当時高校生だった北神けいろう前衆議院議員に出会いました。

マスメディア時代

1986年10月 帰国

ある日、突然母から電話。「智之帰っておいで。喫茶店はじめるのよ。一緒にやろう。」
驚天動地でしたが即断。母親がはじめた北山通りの喫茶店“DEBO”のマスターになりました。当時、すでにUCLA大学院のマスター(修士号)は貰っていたので、日本に帰って喫茶店のマスターをするのだと、周囲に言うも、あまり受けませんでした。

アメリカで大好きだったガンビー人形(180cm)を店頭に置いたらDEBO大繁盛! しかし、私を慕ってくれる高校生が留学時代の話が聞きたいと朝からたむろするので徐々に利益が減り・・・(^_^;)

喫茶店を救うためKBS京都に企画書を持参。それが採用され、ラジオのサブのパーソナリティになることが決定。

1987年4月 フリーキャンパスKYOTO(KBS京都ラジオ)に出演

KBS京都ラジオの3時間生の深夜番組「フリーキャンパスKYOTO」に出演。“輝きながら”で大ヒット直前の徳永英明さんがメインパーソナリティ(毎週金曜日22-25時)、私は芸名ガンビータイラとして登場。

留学の方法を教える
“留学大作戦いろはにほへ”というコーナーを担当。当時の小中高生には“ガンビーさん”で親しまれました。

そのままラジオの世界が面白くなり、メインパーソナリティー平智之としての初番組「ミュージックステーション」や映画専門番組「平智之のシネマギャラリー」などを担当しました。

その後、OBCラジオ大阪やABC朝日放送のラジオ番組を経て

1992年 モーレツ科学教室に出演

さらに、越前屋俵太さん(現 書家の俵越山氏)とのコンビで、テレビにも出演するようになりました。主として科学番組で、出演だけでなく企画制作にも関わりました。俵さんは、映像とパフォーマンスの天賦の才を持っている方でした。あの頃、毎日笑っていました。

主な出演番組
<ラジオ>
ミュージックステーション (KBS京都ラジオ)
シネマギャラリー(KBS京都ラジオ)
I LOVE 大阪(OBCラジオ)
ABCラジオパラダイス(ABCラジオ)
真夜中のトレーニングパンツ(ABCラジオ)

<テレビ>
モーレツ!科学教室(関西テレビ)のトンチ博士役
キューティクルハニー(サンテレビ)
知ってどうするの?(テレビ東京)
GLOBAL HEAD LINE(関西テレビ)
BeeBee's Family (関西テレビ)

タレント活動と並行して政策シンクタンクの会社を起業

シンクタンク時代

タレント活動と並行して自分の会社を起業しました。マスメディア、雑誌、IT、印刷等、多くの業種に携わりましたが、それはやがて諸分野に関する政策立案・政策提言を主たる業務とするシンクタンク (Think tank) になりました。

1989年には、社団法人 京都府建設業協会の広報誌の企画として、「二条城プラッツ構想」を企画。堀川に清流を戻す計画を提唱しました。二条城プラッツ構想は、地元の多くの方々の理解と協力により、15年の時を経て「堀川水辺環境整備事業」として結実しています。

1990年には、東京に会社を移しました。主として国土交通省の外郭団体からの受託業務で、入札契約制度や技術者制度などの業行政に関する制度設計に携わりました。全国津々浦々の中小建設会社のみなさんと膝詰の議論をしました。また、建築学会員として大学研究者、設計事務所、大手ゼネコンの技術者の皆さんと日本の建築生産システムの在り方を研究しました。この時の経験は、建設産業のためにも国政に反映させたいと考えています。

これまでに関わった行政関係の委員会委員のいくつかを抜粋します。
・「かわと水に関する情報検討委員会」委員
・「ITを活用した民間建設工事発注者支援システム研究会」委員
・「CM方式に対応した施工体制のあり方研究会」委員
・「取引慣行是正委員会」委員
・国土交通省 国土交通大学校 講師

2008年-2010年 東洋大学理工学部 非常勤講師

東洋大学工学部でアントレプレナーシップやマーケティングの講義を担当。理系の学生さんにこそマーケティングを学んでほしいと思い、理論ではなくケーススタディに触れてもら いました。10グループほどに分かれ、各グループに市場セグメントやSWOT分析などを経験してもらい、そのアイデアを事業化するために、会社の設立登記申請書と特許申請書を作成してもらいました。

学生達はみんな、新しい発想に溢れ、大きな可能性を秘めていました。そのまま社会で大活躍して欲しい。

以上の様に、タレント活動、会社経営、教育の現場など、多くの分野の仕事を体験してきた私が、突然に政治の世界へ。2009年政権交代でした。

初当選から現在まで
2009年8月30日 第45回衆議院総選挙 民主党から初当選
一貫して経済産業委員会に所属。理事も務める。
2011年7月14日 衆議院本会議で再エネ特措法の代表質問に登壇
2011年11月17日 国会仕分人として高速増殖炉もんじゅの予算を100億円カット

民主党内での主な仕事
【議連】
・原発事故収束対策PT 事務局次長
・行政改革調査会 予算・決算透明化WT 事務局長
・国土交通部門会議 まちづくり基本法WT 事務局長
・化学物質政策PT 副座長

【議連】
・蓄電議連 事務局長
・伝統的工芸品産業振興議連 事務局長
・都市・まちづくり議連 事務局長
・盆栽議連 事務局長
・建設業法等を考える民主党議連 幹事長代行
・日中環境協力議員懇談会 事務局長
・日越友好議連 事務局次長
・日本・ベラルーシ友好議連 事務局長代理
2012年6月16日 政府の大飯発電所3号機の再稼働決定に異を唱えて離党を決意
2012年6月18日 民主党幹事長室に離党届
2012年6月26日 消費増税法案(社会保障・税一体改革関連法案)に反対票
2012年7月3日 離党届が受理され、無所属になる
2012年7月5日 政党を立ち上げるべく平安党宣言を公表
2012年8月31日 衆議院において新会派「減税日本・平安」を結成
しかし第三極連携の流れ(生活、みんな、維新、減税など)の流れのなかで
平安の禁原発が主張できなくなり、会派を解消
2012年11月13日 脱原発をアジェンダに掲げるみんなの党に会派入り
2012年11月21日 正式にみんなの党に入党し、次期総選挙の公認を得る
2012年12月16日 第46回衆議院総選挙にみんなの党公認で京都府第1区から出馬するも落選
比例復活もならず

選挙カーではなくアズール君(8歳)と馬車で都大路を駈けた
2013年7月21日 第23回参議院通常選挙でみんなの党公認(比例区)で出馬するも落選
現 在 同志社大学理工学部嘱託講師
以下、ブログ(http://t-taira.net/blog/2013/12/post-646.html)より抜粋

政治的な立場をリセット

いったん無所属となって自分自身の政治的な立場をリセット。多様な活動に参加しながら、いままでとは違うやり方で新しい政治活動のあり方を模索します。

多様な活動に参加

今後は、エネルギー分野の事業開発、執筆などの言論活動、市民の公益活動など、分野を問わず多様な活動に参加しながら、新しい政治活動のあり方を模索したいと思います。原発、福祉、国防などの国家課題に関する勉強会、公開座談会、メルマガなども始められればと思います。より具体的な活動については、その都度ご報告してまいります。十分に意を尽くせませんが、以上に今後の活動方針をお知らせします。


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